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    第一章 小さな文化の悲劇 その4(29頁-36頁)

     人間には造物主(デミウルゴス)的な渇望があり、それが充足されるのは、魂の昂揚と内的ヴィジョンにおいてか、あるいは歴史の生成への能動的統合においてか、である。大きな文化の加速されたリズムと広汎な呼吸とが、この渇望を満足させるのである。実際、大きな文化の次元は人間的次元をはるかに越えているために、大きな文化は宇宙的な特徴をもつ全体をなしている。大きな文化、それは世界であり、その存在はモナドロジーを正当化する。しかしこのモナドは調和の中で生きることはしないので、それゆえ互いに憎み合うために窓を持たなければならない。文化の創造力(デミウルギア)は、その文化の中で生きている人間の絶対への欲求を自動的に満足させる。歴史の迷信のもとにある者、そして大きな文化の中で生きるという幸運を持つ者は、自分自身のもとにおり、充たされているものとみなされる。歴史の迷信とは、時間の中における栄光の崇拝、文化の始まりにおける生成への情熱のことだ。栄光というオブセッションを持たない国民は、隠されてはいるが、しかし現に活動している生の活力を欠いているのだ。文化の上昇は、無からの創造のようにみえ、純粋に内面的な次元に従った方向性を持っているように思われる。文化のデミウルゴス的種子は、全ての文化において、等しく実を結ぶわけではない。それゆえ、いかなる文化も同じような運命を持つことはないのである。ある文化においては、創造力は純粋に外面的な特徴を持ち、その場合にはその創造力は巨大主義ギガンティスム)と呼ばれる。イギリスのことである。次のように問うことができよう。この国があれほど長く世界を支配しながら、一つの大きな運命ではなかったのはなぜなのか? イギリスが独特で不可解な天才たちを世界にもたらし、そして、もっとも陳腐な経験主義の国に、もっとも繊細な文学を生み出したというのには議論の余地はない――音楽や形而上学においては皆無にもかかわらず。しかしイギリスは自身を超える理念のために戦うことはなかったし、それどころか、イギリスはいかなる信仰のためにも苦しんだことはなかった。利益のオートマティズムによって、全てのものは自身から生まれた。フランスがあれほどの血を必要とした革命、そしてまったく無用な戦争を通して世界において自らを表し、自己意識を持ったのに対して、イギリスの運命は情勢によって作り上げられ、状況の間を蛇行し、直接的に、決定的に、メシア的に確立することはなかった。イギリスは世界を内的に同化しようと欲することなく世界を征服した。大英帝国が新しくもたらしたのは強制と搾取のシステムのみであり、いかなるエートスも、積極的な理念も、無益で普遍的な情熱ももたらさなかった。功利主義はいささかも普遍的理念を持たない。それはメシアニズムの否定である。しかしメシアニズムは悲劇的で、予言的なものであり、ひとつの国の根本的な爆発である。文化の創造力はメシアニズムのアウラを帯びている。だがイギリスの外面的な巨大主義はアウラに欠けている。イギリスの運命は世界の中心を富において定めたのであって、精神的形態のシステムによる支配という情熱にではなかった。この世界を改革するという理念を持たない純粋に外的な世界支配の理念は、普遍主義や国民的予言から生まれたものではない。大きな文化において巨大主義は重要な位置を占めない。拡張的支配、物質的独裁は歴史の出来事から強度を奪い、したがって出来事を弱体化させる。イギリスは大きな文化は何であるべきではないかという見本である。普遍的な意味に対して役に立たない利益など歴史における「しみ」にすぎない。物質的巨大主義はわれわれを冷やす陰である。

     国家間の対立を利用し、敵対者が疲労している間に介入することによって上昇していく国というものには、客観的敬意を払うだけで充分である。大英帝国という名の現代の怪物を創った者たちはコンキスタドールではなかった。イギリスの哲学と経済・政治思想は、その恐ろしさにおいて興味深く、それさえももっともつまらない経験主義に感染していて、そのため、イギリスの「直接的なもの」にうんざりしないためには、そのかわりとして、ゲインズバラあるいはレイノルズの絵画の、デリケートで、ニュアンスに富んだ、天空の雰囲気の中に退却しなければならない。歴史の近代において、イギリスは全ての出来事の中心にあった。しかしイギリスはどれほどそれらの出来事の理想的な方向を規定したであろうか?イギリスの実質には何か不毛なものがある。この国は歴史の栄光ではなく、人間と出来事の重要な一章であって、それが結びついているのは外見によるのであって本質的な目的によるのではない。イギリスには集団的天才が、民族の全体性のダイナミックな神秘主義が欠けている。この島国の独占は、熱狂的な集団的精神の情熱を何も持たなかった。論理的唯名論は実際、ドイツにおいてかつてあったような神秘的色彩を持たない、極端な個人主義に達した。この点に関して、イギリスは偉大であったが、しかし壮大さという理想への方向が欠けているのだ。シェイクスピアはひとつの世界に等しい。けれども彼は、イギリスを――国として、国民的運命として――世界にすることはできなかった。大枠では大きな文化であることを示しているにもかかわらず。議会政治はイギリスの贈り物であるが、この贈り物は何十年も前から世界を混乱させてきた。世界史がイギリスにおいて議論と意見によって現れことができたとしても、人々がイギリス人ほど冷たい血を持たない国々では、議会政治は停滞しかもたらさなかった。議会政治の唯一の利点は、いわゆる国民の代表者たちに、国の運命を人工的に、意識的に変えることができるという幻想を与えることである。結局のところ、議会政治は若干の誇大妄想狂しか作らないし、ましてや英雄を作ることはない。それはまさしく英雄主義の否定なのだ。国の均衡がとれている時期ならともかく、第一歩を踏みだし自己を確立しようとする時期においては、議会的精神は衰弱させるものだ。歴史における緊張は常に独裁的精神の成果であった。自由は思想の源ではあるが行動の源ではない。政治は自身に仕える力しか知らない。力があまりにも大きすぎるときに、力は価値にも仕え始める。力の過剰は自らの緊張において衰弱しないために精神に仕える。古典時代は、政治-力と、自由-精神の間の均衡を保っていた。歴史の生成の流れが固有なリズムを持ち、歴史の非合理的な下部構造によって生じる蓋然性の係数をつねに保つ規則的交代のシステムを持つのに対して、ドラマティズムにいたるまで一面的である他の時代は、対立する価値の間の均衡にとどまることはできない。諸価値は継続する対立において戦い合うか、あるいは互いにゆらゆらと交替しあうかである。

     大きな文化は、自らの絶頂に達した地点を、自らの力のエクスタシーとみなす。その後にデカダンスが始まるだろう。デカダンスにおいて失われた力をわれわれは惜しむが、しかし回顧的な慰めが与えられないわけではない。

     歴史においてギリシア人、ローマ人、あるいはフランス人が意味するものは、間違いなく彼らが実現した価値の固有な世界に負っている。われわれは今日、彼らの各々がいかなる歴史的理念のために戦ったのか、それをどれほど実現し、それはどれほど限られていたのか――それらは他の並行して補足的な多くの使命と共存していたのだから――充分に知っている。けれども、ある文化を限界へと、世界における意味の涸渇へと推進させる、隠されてはいるがしかし現実に稼働している動力というものが何なのかを知りたいと願う者にとっては、使命の理想的形態を知ることはそれほど役に立たない。私は最後のギリシア人・ローマ人・フランス人がその歴史の絶頂で感じたのと同じ激しさでもって一瞬でも生きることができるならば、人生の半分を犠牲にしても構わない。それは神々をも蒼白にさせるほどの誇りであっただろう。革命において野獣性を非人間的な憤怒の中で溢れさせた何らかの一人のフランス人でも、歴史的にそして政治的に、小さな文化の何の意味もない集団よりも重要である。別の言葉でいえば、私は世界大戦におけるドイツ軍兵士の心理を理解したいし、最低位の兵士の中にも全世界に抗して戦うという記念碑的な誇りがあったことを明らかにしたい。普遍的文化が個人の意識に普遍的な輪郭を与えるということを、このことは気づかせてくれるからだ。

     力の内的感覚は、小さな文化、すなわちその核において挫折している文化に属する個人にあっても強化されうる。ただし、それは継続的な個人的訓練を前提としていて、したがってその意味は個人の心理の事実を越えない。大きな文化においては、力の感覚は自動的に意味を勝ち取る。その強化は、文化の運命についての意識の増大のみを前提としている。

     大きな文化において、個人は救われる。それどころか個人はつねに救われている。小さな文化だけが失敗するのだ。そしてその生のリズムは攻撃的な集中とアグレッシヴな躍動(エラン)に欠けているのに、どうやったら小さな文化は失敗しないでいられるというのか? 小さな文化の欠陥は根本的な力の欠如に由来するだけでなく、力に対する連続的で過剰な崇拝の欠如にもよるのである。

     ルーマニアの原初の欠如(マイナーな運命を持つ文化の典型的事例である)は、力への意識的な愛によっては決して修正されなかったし、つぐなわれることもなかった。証拠?世界におけるわれわれの役割を誇張したヴィジョンが、われわれの過去に一つでもあったか? 次のようなことは何度も何度も言われてきた。われわれはラテン性を守ってきた、バルカンにおけるラテン性のオアシス、スラヴ主義に対する防波堤、キリスト教の擁護者、ローマの伝統の保持者、等々。君は理解するだろう。そう、われわれは守ってきたし保ってきた。この運命を何と呼ぼう?大きな国民は自己を確立する自らの傾向において歴史を切り開いてきた。彼らの炎のあとには世界に火の痕跡が残った。というのも大きな文化とは宇宙的規模の攻撃に似ているからだ。しかし小さな文化という退却のあとに何が残るというのだろう?粉末――だが粉といっても火薬の粉ではない、秋の風によって運ばれていってしまう塵芥だ。小さな文化に春を見出そうとしても空しいだけだろう…。

     しかしながら小さな文化が力の崇拝によって無から救われることができるときもある。類いまれな明晰さによって自らのプロセスを組織し、自らの欠点を明らかにし、自らの過去を袋小路だと認め、予言を自らの存在の源泉とするときである。大きな文化と小さな文化の差違は、人口でも法外な出来事の頻度でもなく、精神的運命に、文化を世界において個性的なものとする政治に基づいているのだ。歴史の生成において、千年間も国民的有機体であったような、しかしこの期間に精神的・政治的運命を定めることができなかったような国は、たとえその千年が生物学的内容だけは保持することができたとしても、有機的な欠陥を抱えている。歴史の観点からすると、生物学は、それ自体では何も示さない下部構造である。その場合、力が生物学に根差しているのであれば、大きな文化の目的としての力の意味とは何であろうか?

     歴史における力というものを、生命力の帝国主義としてのみ理解するべきではない。この言葉にもっと広い意味を与えなければならない。力の生物学的源泉は、欠陥のある有機体は歴史的には実現しない、というネガティヴな意味の現象をポジティヴに表現する。

     力は国民の歴史的水準にしたがって増大する。生物学的には若いとしても、国民の欠陥が大きければ大きいほど、その国民は未発達のものとなる。エネルギーは歴史の水準が低まるほど、国民が衰退へと沈んでいくほど低下していく。ローマ帝国や前五世紀のアテナイ、革命のフランス、独裁者の下のドイツ・イタリア・ロシアは歴史の水準の頂点に達し、それらの生成の特定の時期に全面的に現実化した。歴史の水準と相関関係にある力とは確信であり、その本性は生物学的だが精神的でもある。力がもしただ単に生命力の帝国主義であるならば、その場合力は単純なものや非歴史的なものの領域を越えることはないだろう。歴史の水準の限界にあっては、力はそれ自身を反映し、その結果、尊敬に値する国民は自己意識の中で力の自己意識を実現する。大きな文化のメシアニズムは明確になった力の現象なのだ、力の精神化は、蛮族のプリミティヴな帝国主義と、歴史的な帝国主義的理念とを区別する要素である。いかなる蛮族の侵入も、国家の形態を生み出したことはない。様式を持つ侵略のみが歴史の輪郭を帯びるのである。

     大きな国民は、彼らに固有の力を味わうためだけに生き、そして破壊する。もしそうであるならば、力は口実や手段と考えられてはならない。諸国民は、力によって正当化される自己意識を実現するために、自らの内的可能性を消費しつくし、歴史の生成において自らを汲み尽くす。

     ヴラジーミル・ソロヴィヨフは有名な一節の中で次のように言っていた。「国民は国民が考えているところのものではない。神が永遠のうちに国民について考えたところのものだ」。私は神学的観点は人間の歴史をあまり考慮しないと思っている。神に対しては、国民は神を実現するかぎりでしか救われることができない。力の現象に対する固有な理解を神が持たないために、われわれは、われわれにとって特に重要とみえるものを、われわれの思うがままに行うしかない。

     大きな文化の侵略的な運命は倫理の価値全てを超える。もし歴史が善と悪の内部にとどまっていたならば、歴史は平凡な方向へと展開し、歴史を定義している悲劇のかわりに、われわれの対立は親密な光景を呈していただろう。

     今まで誰も道徳的な国民、不道徳的な国民というものについて語ったことはない。そうではなく強い国民と弱い国民、侵略的な国民と寛容な国民がいるだけである。ひとつの国民の絶頂は無限の犯罪を伴う。歴史の終わりのイメージは黙示録的なものである。もし私が合理主義と倫理学に誘惑されるならば、どんな出来事にも堕落を見出さなけばならないだろう。歴史は永遠に対して弁解の余地がない。なぜなら時間というものがあるからだ。結局のところ、おそらくそれが歴史の唯一のエクスキューズなのだろう。ソロヴィヨフは歴史に対してどうしたか?彼は脱走し、神秘主義に赴いたのである。

     大きな文化の上昇と崩壊のスペクタクルは人をシニカルにしかしない。そして、歴史の周辺に身を置くルーマニアがこのスペクタクルに参加することができず、他の文化の上昇と崩壊の反響の一つを構成するにすぎないという無念さが、このシニシズムを増大させるのである。

     もしソロヴィヨフの神学的ヴィジョンが精神的客観性を持っているならば、大きな文化が永久に救われるというのは難しいだろう。しかしそもそも、われわれが時間の中で救われるということがありうるのだろうか?(第一章 了)
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    第一章 小さな文化の悲劇 その3(22頁-29頁)

     メシアニズムは民族の内部の力の中で生まれる。発展していくにつれ、メシアニズムは民族の力を強めないわけではないので、メシアニズムは生命力に溢れる活動を行う。メシアニズムとは、民族固有の必要のために有機体の中で生まれた強壮剤である。ユダヤ人の存在の奇蹟は、彼らの使命の炎が常に保たれ続けたことによって、という以外に、どのように説明されるというのか?ユダヤ人の歴史への飛躍において、その炎は羽ではなくまさに足を燃やしているように見える。そうでなければ、彼らの時間の中でのせっかちさの、その生のどの瞬間にも溢れる熱気の、地上のものへの情熱の、地上の財産の一つたりとも、月下の世界のいかなる喜びも失うまいという意志の説明がつかないのだ。もしユダヤ人の発展において、メシア的熱気を一瞬でも欠いた時があったならば、彼らはその瞬間地上から消滅していただろう。何千年にわたるユダヤ人の現存は、ユダヤ人を受け入れられるべき当然のものにしてしかるべきだったろう。しかしユダヤ人は拒絶以外に出会うことはなかった。世界は彼らを決して受け入れなかったし、これからも受け入れないだろう。彼らは歴史的次元では決して成功しないという運命を宣告されている。歴史は彼らにとってもっとも情熱的なあこがれであるにもかかわらず。もしいつか彼らが完全に実現することに成功した時、我々はその時以外に、歴史の終わりというものを考えることはできない。彼らにとっての出口とは、黙示録的解決なのだから。本質的に預言に基づいている民族は、預言において救われることができるだろう。彼らは求め続ける、しかし誰が知っていよう、運命の終焉、地上の楽園、そこに達するのは、自身の廃墟の上なのだということを…。

     今まで彼らのような地上と生に貪欲な民族は存在しなかった。それにもかかわらず、地上との結びつきを宗教的に生きたことに、彼らの奇妙な強さがあるのだ。自らの運命に没頭した結果、彼らは運命を一つの宗教にした。ユダヤのメシアニズムとユダヤ教とは、完全に互いを支え合っている。彼らほど神から多くの利益をくみ取った民族は存在しない。それゆえ、彼らの運命がこれほど過酷で地獄のようであるのは、天の復讐以外に説明されることはできないのだ…。

     ロシア人とユダヤ人との間の差違は、ユダヤ人が自らの運命を宗教的に生きているのに対して、ロシア人は宗教を運命として生きているということにある。この二つの民族は、彼らに本質的な非-歴史的なものによって、歴史を複雑にした。ユダヤ的メシアニズムの理念は、ロシアのそれより寛容ではない。というのも、たとえそれが純粋に理論上のものであって、実際には自分の運命の軸だけを目指していたとしても、ロシア人は普遍的救済というヴィジョンの中でもがいていた。それに対して、ユダヤ人は全ての面で、民族として、人種として、一族として等々――他は神のみぞ知る――自らの救済以外を目指すことはなかったからだ。

     ユダヤ人が考え出した全てのこと、とりわけ彼らが苦しんだ全てのこと、彼らの存在の恐ろしい呪いの全てにおいて、彼らがあきらめの誘惑を深く考えることは常になかったし、感じもしなかったということが、ユダヤ人の世界への執着を説明する。ユダヤ人は自らの運命にあまりに結びついていて、あまりに沈み込んでいるために、苦悩から不可避の帰結を導き出すことは決してなかった。それゆえ、ユダヤ教は魂に上昇的な振動を与えた、と言うことはできない。ユダヤ人をこの世を天に捧げすぎ、天をこの世に持ち出ししすぎた。むなしさとしての生の理解(ヨブ・ソロモン・エレミア)は純粋なリリシズムであって、それをたたえた魂にあってはこのリリシズムはまことに深いものだが、しかしそれはユダヤ人の集団的意識からは消えてしまった。彼らの支配的感情は――それはユダヤ人の心理の曖昧さ、あるいは複雑さを説明するものだが――つねに奇妙な恐怖であり、この恐怖は世界からユダヤ人を排除するどころか、むしろより取り返しのつかないかたちで世界にユダヤ人をはめ込んだのである。人間がおぼえた感情の中でも恐怖は、確固とした精神的現実として、とらえがたいものの、不意打ちの、ニュアンスの、精神的な非還元的なものの意味で心理にもっとも影響を与える。恐怖のみが人間を変化させ、恐怖の中でのみ人間は他のものになる。恐怖の中で、世界における不安と、世界への執着が表されるのだ。けれどもこの精神の逆説は理解可能なものである。なぜなら、われわれは、われわれが高く評価するもの以外を、自分の本質とは違った本質を持つがゆえに完全に手に入れることができないもの以外を、怖がることはないからだ。恐怖はわれわれ自身の中軸に対してわれわれを盲目にする。それゆえに恐怖の中で人間は自分自身を捜し回るが、見つけ出すことはない。ここにユダヤ人が救われないことについての心理的理由があるのかも知れない…。

     民族の歴史的呼吸は、その使命が偉大であれば偉大であるほど深いものになる。それゆえに、大きな文化全てにおいて、メシア的ヴィジョンの諸次元は、壮大な規模で姿を現す。それに対して、自らにも世界にも臆病な民族は即席の使命を考え出す。それは彼らが実現する可能性が高いほどの貧しい使命である。メシアニズムがつねに普遍的救済論であったロシアに対して、小さい文化の民族的預言は歴史の限定された一時的意味を超えることはない。大規模な運命を決して企てたことがなかったルーマニアに、何のメシアニズムの可能性があるというのか?ルーマニアの未来について述べることをせず、我々の過去の不吉な暗闇の中に民族の絶頂を見たエミネスク*1の例は恐ろしいものではないだろうか?ルーマニアはメシア的思想家を持つことはなかった。というのも、ルーマニアについて何らかのヴィジョンを持つ者たちは全て、局地的な預言と、ある一つの歴史的時期の限定を超えることはなかったからだ。ルーマニアの民族的預言は、エスニックな限界と限定を上回ることはなく、時間を超えた次元の預言ではなく、歴史的出来事の預言であった。エミネスクは民族のさかさまの預言者である。ポーランドのメシアニズムの雰囲気を知っていたバルチェスク*2さえも――彼はかつてあれほど期待に満ちあふれていたのに、実際には全く妥協的であった――過去の預言者以上のものではなかった。このロマン主義の過剰に対して、ヨルガ*3やプルヴァン*4のような者はただの伝統主義者に過ぎない。伝統主義とは過去と未来との間の均衡を意味する。伝統主義と違って国民的預言は、国民の実現の財宝とみなされた未来に中心を置く。伝統主義は安易で消極的な定式である。それは民族との連帯のあらわれであるが、世界において重要な意味を与えようとする意志のあらわれではない。どの民族主義も、民族の内的限界を受け入れる。その場合、国民は、水へ突進していく牛のように盲目的に、自動的に未来に向かって進んでいくので、もはやすることは何もないというわけだ。

     歴史的段階を通り抜けることで初めて民族は世界における運命を持つようになる。それまで民族は歴史-以前の状態にとどまるのだ。しかし、不可能ではないとしても、そのような段階を通過する正確な時期と日付をもとめるのは難しい。そのために民族が戦う価値が真の歴史的世界の中で結晶化するとき、その民族は諸文化の生成の流れへと統合される。この「結晶化」の時期を正確にするのは無用である。なぜなら世界において確固たる存在となることは、全ての次元で同時にそうなるわけではなく、ほとんどの場合、一つ一つ継続的に成立するものだからだ。このようにして、イタリアの場合、ルネサンスを通して、精神的次元によって歴史に参入したのだ。

     文化の理論において重要なことは、民族の確立が目立たないエピソードに過ぎないのか、それとも本質的な運命であるのかを知ることである。スペインとオランダ―たった一世紀間だけ巨大な権力となり、その後は、運命の蜘蛛の巣にとらわれて迷ってしまった国々―のために、大きな文化と、小さくマイナーな文化との間の中間のカテゴリーの位置を用意しなければならない。これら中間の文化の失敗の理由はさまざまだが、本質的な理由はもちろん、諸次元が調和していなかったこと、つまり全ての領域を生成の流れの過程において対応する構造の中で実現することができなかったことにある。もし十字架の聖ヨハネと聖テレジアの神秘主義しか存在しなかったとしても、スペインが霊的に成功したということに議論の余地はないだろう。しかし政治的にはそれと同じような水準を保つことはできなかった。長期間巨大な権力として確立し続けることができなかったし、堅固な国家の形態を作ることもできなかった。スペインとは世界における主観的精神の勝利を意味する。(決して本来の意味での「国民」ではなかった)失敗した中間の文化、すなわちもう少しで国民にならんとするところで頂点に達してしまい、国民になることがなかった文化に特徴的な例としては、コロンブス以前のマヤ文化も劣るわけではない。コンキスタドールが他のメキシコ文化やペルー文明を破壊するために襲来する2、3世紀前に、マヤは外的な理由なしに滅亡していた。数学・暦・記念碑的偉大さとしてはエジプトのものに匹敵しうる建築・インド美術を想起させる荘厳さを持っていたこの文化は、歴史的怪異として崩壊し消滅した。この急激なデカダンスについての説明は、政治的欠陥、すなわち外的運命を組織化する能力の欠如とされる以外にはありえず、その欠陥は、精神的発達の代償であったとはいえ、文化の持続する使命の均衡に達することができなかった。

     歴史において重要なものは、大きな文化の上昇と崩壊であり、大きな文化間の不可避の対立である。大きな文化の悲劇に対し、大きな文化の生の影と光を背景として展開される、影でもなく光でもないマイナーな明暗の中で、小さな文化の悲劇が、そしてその無名性を克服しようとする、生成の流れの慰撫を味わおうとする辛い戦いが行われるのだ。準-歴史、すなわち大きな文化の段階や水準より下の水準に存在するので、小さな文化は自らの桎梏を打ち破ることでのみ水準を上げていくことができる。自らに固有な運命に対する非連続性こそ小さな文化の成功の条件である。歴史的飛躍が唯一の強迫観念でなければならない。なぜなら小さな文化にとっての救済は、歴史は自然ではないということにあるからだ。種子的運命を持つという意味で、全ての文化はあらかじめ決定されている。運命は核の中に刻み込まれている。しかしそれは飛躍の可能性のためなのだ。われわれが以前語った地上の恩寵に触れた小さな文化は、その運命の中に飛躍の可能性を刻みつける。その発展の半眠状態のある瞬間に、創造物ではなく緊張の点で大きな文化の水準へと小さな文化を高める豊かな断絶が起こるのである。飛躍は欲すればできるようなものではない。しかし意志は歴史的変容に拡大を与えることができる。人間はすでに種子においてそうであるもの以外を欲することはできないのだ。

     自然に発展するという有機体論的考え方は、われわれの運命において無名の千年を構成していた鈍さ、のろさ、半眠状態をわれわれに強いる。有機体論はあらゆる飛躍に対する理論的反対を表しており、したがって、その帰結はどの小さな文化からも抜け道を排除してしまう。ルーマニアの民族的・政治的思想がこれほどまでに非革命的であったのは、有機体論の過剰な蔓延と、ルーマニアの民族主義にもたらされた、ドイツのロマン主義的歴史主義の直接的・間接的影響のせいである。

     近代文化の生のリズムが、静けさと相対的均衡を特徴とするとしたら、われわれ運命の純粋に有機的なヴィジョンは世界において豊かさを持つかもしれない。というのも、その場合、テンポを合わせることの可能性がそれほど排除されてはいないだろうから。情熱は民族をより有利にする要素であるが、しかしより速く民族を消耗させる。加速したリズムは近代文化の急激な疲労を説明するものであり、またある程度、ギリシアとローマの疲労をも説明するものである。出来事の性急さは魂の強烈な活動性を前提としており、その活動性は、自分自身の熱狂を飲み込んでしまう。われわれがインドにおいて起こった継起的現象を、数千年の期間にわたって眺めるとき、その数千年の間に驚くべき間隔、凄まじいほどの時間のひらきがあるのに気づ一世紀かかってようやく一つの出来事が呼吸しはじめ、そしてそれはほとんどの場合、宗教的意味、すなわち時間に中立の意味を持つのである。東洋文化のゆっくりとしたリズムは東洋文化自身を保ち、その実体を保存した。反対に、近代文化の呼吸は窒息死しかねないほどに性急である。近代文化はこの数世紀で自らの実体を失った。だからあれほどまでに生命力が減少しているのだ。

     もし近代文化のリズムがこんなにも速くなければ、われわれは通常の発展を行うことができたかもしれない。のろさや途切れがちな鼓動が、時とともに、われわれをあの焦がれた高みへと押し上げることだろう。しかし現実的には、集団的リズムへと入るためには、歴史的諸段階を飛び越えるしかないのだ。

     もし小さな文化が発展を自然に行おうとしても、―すなわち大きな文化が成功したプロセスを小さな規模で通り抜けるということだ―世界の何らかの歴史において、特別な位置に達することに成功することは決してないだろう。デカダンスを恐れるあまり、生物学的状態から脱しようとしないならば、ヴァイタリティーや若々しさなど何の役に立つのか?そして栄光がなければ、歴史は生物学でしかないのだ。

    ―以下新版では削除―

     歴史的飛躍の概念は、キルケゴールにおける諸段階の問題で表された質的飛躍の観念との類似性を持っている。美学的段階から倫理的段階への、倫理的段階から宗教的段階への移行は、単なる推移ではなく、質的飛躍である。直接的で美学的な経験の後での、倫理と宗教的内面性への飛躍は、実体的連続性の断絶を引き起こすことなく行われることはない。

    ―以上削除箇所―

     小さな文化は段階を経なければならないが、しかしそれはゆっくりとした自然な動きの中ではなく、飛躍の情熱の中で行われなければならない。それぞれの文化の歴史的水準を知る前に、何がその段階であるのかを正確にすることはできない。このことが、小さな文化にとって、自身からの、自らの存在の呪いからの脱出以外の救済は存在しないということを示している。しかし結局のところ、誰にとってこの問題は痛ましいものなのだろうか?歴史家にとってか?決してそんなことはありえない。大きな文化という素晴らしい例を自由に扱うことができるというのに、いくつかの国が不幸を強いられ、世界から閉め出されているということに歴史家が苦しむようなことがあるだろうか?歴史家は冷静で無関心なシンパシーでもって現実に表面的に触れるのみである。しかし小さな文化の代表者にとっては、この問題は客観性の範囲を完全に超え、直接的で主観的な特性をもつ。もしわれわれがルーマニアの現象に深く密着しないのであれば、そしてルーマニアに対して完全に客観的であるならば、ルーマニアが世界で一つの役割を演じるかどうかなどは少しも気にかからないだろう。その場合、ルーマニアがマイナーな民族の運命の中に組み込まれてしまうのはいかにも当然のように見え、その無名性がわれわれを苦しませることは決してないだろう。しかしルーマニアに対する情熱は、この国が今まで受けてきた平凡にとどまり続ける、という不幸を受け入れることなどできはしない。犯罪的な明晰さが、すぐ消滅してしまうような小さい枠にルーマニアを据えてしまうのに対して、情熱は魂の中心、したがって世界のリズムの中にルーマニアを定める。特定の諸価値の総合や、その二次的な実現にとってではなく、文化の中で煩悶し、そのあるがままの姿を受け入れずに、自らを救いつつ文化を救おうと欲する人間にとって、この文化の問題は興味深いものなのだ。文化の問題は歴史哲学のみならず人間学の主題をもなす。人間の運命を歴史的に考えると、大きな文化は自明性を確証される一方、人間の運命が、純粋に人間的な条件に、その異常性と不完全性から生じた悲劇的剰余をつけ加える小さな文化においては、決してそのようなことはない。小さな文化に生まれた人間の情熱はつねに傷つけられている。二流の国に生まれることは全く楽なことではないのだ。明晰さが悲劇になる。メシア的熱狂を絞め殺さなければ、われわれは不満の海の中で溺死してしまうだろう。


    *1 ミハイ・エミネスク(Mihai Eminescu 1850-1889)ルーマニアの国民的詩人。
    *2 ニコラエ・バルチェスク(Nicolae Bălcescu 1819-1852)歴史家、政治家。1848年の革命の主要なリーダー。
    *3 ニコラエ・ヨルガ(Nicolae Iorga 1871-1940)歴史家、政治家。百科事典的な碩学で著作は千を超す。
    *4 ヴァシーレ・プルヴァン(Vasile Pârvan 1882-1927)歴史家、考古学者。主にダキア=ゲタエ時代の古代史を研究した。

    第一章 小さな文化の悲劇 その2(18頁-22頁)

     もしルーマニアが歴史への道を本当に切り開いて行きたいと望むのなら、もっとも学ぶことができる国はロシアである。19世紀全体を通してロシア人は、強迫観念にいたるまでに自らの運命の問題にのたうち回った。この理論的な苦悶のおかげで、革命によって自らを歴史の中心に据えるために、ロシアは確かな足取りで歴史の中を歩んでいった。ロシアの宗教思想、汎スラヴ主義と西欧主義、ニヒリズム・ナロードニキ主義等々、全てがロシアの使命というものをめぐっていた。コミャーコフ、チャアダーエフ、ゲルツェン、ドストエフスキー、アクサーコフ、ダニレフスキー、あるいはニヒリストたち、ピサレフ、ドブロリューボフ、チェルヌイシェフスキーらは、解答は異なっていても、同じ問題を解決しようとした。ソロヴィヨフの神秘主義さえも、具体的な現実のロシアの神学的置換であるようにみえる。

     ロシアが記念碑的使命に運命づけられていることは十二分に明らかである。しかし、なぜこの自明さはロシアにとって悩ましいものであったのだろうか?19世紀ロシアの全体は、興奮した予言的な意識を、真のメシア的ヒステリーを示している。他の民族が成熟期にあるときに歴史に参入したどの国民も、歴史の水準の不等によって引き起こされる不均衡によって苦しむものだ。ルーマニアのように、何世紀にも渡って眠った後に、ロシアは誕生する。歴史の諸段階を燃やす以外にやるべきことはない。ロシアはルネサンスを知らなかったし、その中世は暗く、非精神的であった。文学においてさえも、19世紀初頭にいたるまでただ民話と道徳的・宗教的作品によって目立つだけだった。ロシアの巨大な災厄とは――それはわれわれのものでもある――ビザンツ的伝統であり、ビザンツの精神の息吹であって、それらは抽象的な図式主義を、また政治的・文化的次元における組織された反動主義を、外国の文化の中に接ぎ木するのだ。19世紀のロシアの反動思想の全ては、ビザンツの流れを受け継いでいた。ポベドノスツェフ、この聖シノドの検事、文盲の国における大衆の無教養の預言者は、ビザンティン・イコンに歴史的意義を読み取った。しかしそれは、西洋諸国が行ったような、太陽の運行ではなく、ビザンティン・イコンに、死と涸渇と影を読み取ったのだった。暗い天空の芸術、聖者の単調さ、エロスの反対者、すなわちビザンティン芸術から発するものより生気に欠けたヴィジョンは存在しない。そしてこのビザンツの精神の呪いの下でルーマニアが数世紀を過ごしたとは、何と恐ろしいことであろうか!

     ロシア・メシアニズムは究極的には黙示録主義に根差している。この民族が感じ思考する全てのものは、文化のカテゴリーを突き破るか、あるいはその水準の下に落ちるかである。法の形式も、国家の現実も、客観的精神(ヘーゲルあるいはディルタイの意味で)がつくるものもまったく理解することができずに、ロシア・メシアニズムは、ヨーロッパ人―彼らにとって文化のシンボリズムは自然に受け入れられ、自明な人工物である―の意識には呼吸不可能な空気の中で活動する。たとえボルシェヴィズムがロシアに理論的には限られた展望を与えていても、魂の呼吸は同じ規模を保った。何人かのスラヴ主義者たちが、率直に言ってグロテスクに考え出した世界支配の夢―ツァーリと教皇による統治、世界の新しい中心としてのコンスタンティノープルの復活―それはイデオロギーこそ違えど、より幻想的ではないかたちで、ボルシェヴィズムにおいても続いている。この考えを全面的に廃棄し、自らの使命を捨てるくらいならむしろ、地球から消えてしまうことをロシア人は選ぶだろう。それは宇宙的・非人間的規模をとるほどロシア人に根付いている。ロシア人とともに、絶対が政治において、そして歴史において現れた。彼らはそのために戦った全ての政治的・社会的・宗教的形態を、最後のものと考えた。ここから情熱、不条理、犯罪、野獣性という、歴史に固有のものが生まれる。西欧にとって、歴史とはそれ自体における合目的性であり、生成の内在面において円熟した人間の価値とドラマの全体性である。終末論は、少なくとも現代の人間にとっては疎遠なものである。ヘーゲル――近代世界の(オフィシャルな)哲学者の中でも終末論的傾向をもった人物――は、終末論を、超越の次元における最終的解決というキリスト教的意味としてではなく、内在の次元において考えた。自己自身への復帰と絶対精神の内面化は歴史を終わらせるのだが、それは黙示録的ヴィジョンにおいて終末が展開されるようなドラマではない。結局のところ弁証法は、プロセスを絶対化し、宇宙を歴史化することで、理論的に言えば、終末論を拒否するのである。様式と終末論の間で、ヘーゲルの体系は均衡を保ち、対立の均整化という点で一貫している。それがどの弁証法も示している意図なのである。

     ロシア人はドイツ人よりも文化的様式をはるかに欠いている。様式は、一時的に形式を作るという生の傾向を表しており、規定され限定された構造の中で実現するという、内的ダイナミズムを方向づけるという、生の内的実体の不合理性を理解可能な次元にまで高めるという生の傾向を表現している。生が表す多様な方向から、生の様式は新しい内容を作り、固有性を規定し、優先されるべき価値を定める。生のさまざまな様相が、ある一つの方向、あるいは他の方向の優勢にしたがって秩序づけられる。実体の中心は全ての対象に同質で相対的な内容を与える。というのも、様式の意味とは次のようなものであるからだ。すなわち、特殊な特徴の刻印によって異質なものを超えること、生命のダイナミズムにおいて明確にされる個性化を確保する限界を定めること。存在の内容の位階化は、この個性化に、ある方向かあるいは他の方向かを決める優先されるべき価値に、生命の多様性において作用する特殊なものに、形式の安定化に由来する。しかし、形式は存在において実現した調和の一定の値を、たとえそれが外的な値であっても前提しているので、この領域においては、全体の実現、というものは不可能である。様式、形式と調和は互いに互いを前提しあっている。生の限定された様式を生きる者は、様式の構造にともなう(形式、調和といった)全ての相関的なものを個人的に経験する。このような条件において、人間にとって様式がつねに均衡を表してはいないとしても、様式は均衡の可能性の表現であるというのは事実である、ということが説明されうる。様式にとっては、生は意味を持つ。なぜなら、行われるもの全ては、価値の特殊な領域の中で、そして限定された形式の中で全体化され、したがって生に内在する生産性の非合理的理念を排除しつつ、包括化と全体化の現象それ自体において、存在するものがその目的を明らかにするからである。ロシア人は文化における様式を持っていない、というのもロシア人は、生の直接的なもの、ましてや価値の直接的なものの中で生きてはいないからだ。他方でロシア人は合理的宇宙を必死になって作り上げることもなかった。したがって、世界における彼らの使命は転倒のように、冷酷な嵐のようにわれわれには映る。ロシアはあまりにも世界に浸透してしまったので、これから先、全ての道がモスクワに通じていなくとも、モスクワはいかなる道の上であっても我々の前に現れてくるだろう。ロシアの精神は乗りうつりやすいのだ。ロシア文学は大陸全体をヒステリーにしなかっただろうか?諸民族から自らを守る態度によって、民族の健康の度合いを測ることができるだろう。若い民族は「ロシア病」を利用し豊かにすることを知っている。老いた民族は感染してしまい、自らのデカダンスの中で生命力の最後の残りをも喪失する危機に陥るだろう。ボルシェヴィキのロシアのみならず、ロシア一般について、人間的現象と歴史的運命として私は語っているのである。一種のロシア・コンプレックスが存在する。それからの解放が将来の問題になるだろう。なぜなら、この何十年間というもの、ロシア・コンプレックスはどの回想録の中でも一章をなしていたのだから。

    第一章 小さな文化の悲劇 その1(7頁-18頁)

    第一章  小さな文化の悲劇 Tragedia culturilor mici

     われわれが歴史を無視しうるのは、ただ無知か、あるいエクスタシーという非-歴史的な二つの極においてのみである。その当の数千年の歴史がわれわれに強いるのは、人間の変遷についての巨視的なヴィジョンと、歴史における容赦のない選別である。過去を判定するという必要を感じない者は、たとえ本能がその人を見えないつながりによって世界に結びつけていたとしても、先立つ世界との連帯を欠いている。一方で、現実的なものとしての予言にかかわろうとしない者も、未来における存在を欠いている。われわれはヘーゲルから、思想においてはありきたりのものになってしまっている真理を学んだ。それは歴史的生の深い意味は意識の現実化であり、歴史における進歩とは意識の進歩であるということだ。精神は、自身を自然から解放するにつれて内面化し、自らの現実化から距離をとり、人間が身をまかせる究極の目標としての頂点で精神は精神自身を堅持する。意識は、現実性がよりアクティヴに過去を包含すればするほど、より包括的なものとなる。意識の次元はその歴史的パースペクティヴから決定されるからである。歴史の巨視的なヴィジョンは、ひとを人間の生成における本質的な時期全てに対して同時代的にするが、一方では人間の些細なこと、つまり発展の偶発事からひとを遠ざける。実のところ、微視的なヴィジョンというのは存在しない。というのも、二次的な現象はそれ自体では価値を持っておらず、中心的な現象の前提か、あるいは帰結にすぎないからである。

     この現象の数の上での限界は、歴史の特殊な構造のうちにその根拠をもっており、その構造は大きな文化のダイナミズムの間で展開する。大きな文化は非連続的ではないというのは、必然的にそうなのだ。大きな文化の影響は、どれほどその影響が広まったか、ということで示される。しかし大きな文化の現象においては、異質なもの、すなわち外部から付け足されたものは重要ではなく、内的な核、すなわちある固有の形態への予定が重要なのである。生物学において、定向進化が、生を、外的環境の機械論的抵抗を克服する内的な条件と方向の下で生まれ、確立するものとして明らかにするのと同様に、歴史の世界においても、文化の定向進化が存在し、それは各々の文化の個性を、根源的な条件と決定因子によって、また固有の推進力によって説明するものである。それゆえ、歴史における大きな文化の歩みは、一種の宿命に似ている。というのも、大きな文化の、確立と個性化への、他の文化に自分の様式を押しつけることへの、その暴力の魅惑によって全てのものを奴隷にすることへの傾向を何ものも止めることはできないからである。

     大きな文化が相対的に少ししか存在しないので、歴史的現象の数も運命的に限られている。あれほど多くの民族が、精神的にも政治的にも繁栄することができずに自らの運命を挫折し、ただの辺境の民族的なものに限定され強制されたまま、国民(ネイション)にもなることもできなければ文化を創り出すこともできなかったのだ!天の恩寵がある一方で、地上の恩寵もまた存在するはずである。誰がこの恩寵に達したのか?どの大きな文化もだ。聖人が天使から受けるように、大きな文化も人間から祝福の口づけを受け取ったのだ。

     …世界地図を開く度に、われわれの目は地上の恩寵に達した国々にのみ視線をそそぐ。大きな文化は自らの運命を持っているが、しかし大きな文化はむしろ他の文化にとって、つまり大きな文化の影で自らの不毛を冷やして休息する小さな文化にとって、運命であったろう。

     「歴史」とは、いくつかの名を挙げれば、エジプト・ギリシア・ローマ・フランス・ドイツ・ロシアそして日本を意味する。これらの文化は全ての面で個性を表し、目には見えないが、しかし把握可能な調和と対応関係によって、その文化の全ての領域が互いに結びついている。

     大きな文化の数字上の限界は、大きな文化を産む根源的なある種の核の数の不足によってのみ説明されるのではなく、各々の文化が実現する諸価値の世界もまた限られているということによっても説明される。どの大きな文化も全ての問題に対する解決である。解決が多く存在するとしても、無限というわけではない。例えば、古代ギリシアあるいはフランスは――これらはもっとも完成された文化であろうが――自分たちの流儀で、人間に関する全ての問題を解決し、全ての不確実なものに対して均衡をとり、全ての真理を発明した。賢者の超歴史的観点からすると、フランスの、あるいはギリシアの解決は妥当なものではないかもしれない。しかしその解決の真理性と結論の中に生まれたギリシア人やフランス人にとっては、その解決は心地よいゆりかごを構成していたと考えようではないか。一つの文化のうちに吸収されるとは、その文化の枠組みから押しつけられた限界を、疑いや思考や態度に自らあてはめるということである。この枠組みの変わりやすさは、衰退のはじまり、様式の没落、内的方向の崩壊を示すものだ。小さな文化、すなわち生成において周縁部に位置するグループの特徴とは、この変わりやすさである。小さな文化の客体化においてだけでなく、その核、周囲に広がっていく根源的な中心、その本質的不完全さにおいても、変わりやすさは小さな文化の特徴である。世界の中で、スウェーデン・デンマーク・スイス・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・セルビア等々は何の意味を持っているというのか?小さな文化は、自身を縛り付ける法則に打ち克とうとするかぎりでしか、無名という拘束服の中に小さな文化を固定する運命的宣告から解放されようと試みるかぎりでしか、価値を持たない。生の法則は、一方では大きな文化のもとにあり、他方では小さな文化のもとにある。大きな文化は花開くように進化を消費しつくし、その増大の方へと自然に成長する。フランスは自分が大きいと認識することは一度もなかった。なぜならフランスはつねにそうであったし、たえずこのことを感じていたからだ。劣等コンプレックスは生のマイナーな形態の特徴であり、その形態の生成発展は、模範なしには、原型なしには考えることはできない。

     小さな文化の欠点はあまりにも大きく、それを自然な流れに任せた場合、カリカチュアの域にまで悪化するほどだ。生物学的には、小さな文化は希少な例を示しているのかもしれない。というのは、小さな文化には本能が、根本的な目的へと導く本能が欠けているからだ。大きな文化は歴史的本能を異常肥大なまでに有している。歴史的本能とは妨げることができない傾向であり、この傾向とは、その生成の限られた器の中に全ての可能性を注ぎ込み、存在の過程において最後の資源までもくみつくし、精神のポテンシャルの一つの要素といえどもやりそこねることがないようなものだ。

     歴史的本能は本質的に歴史感覚とは区別される。われわれはニーチェとシュペングラーから次のことを学んだ。それは、精神が創造的躍動(エラン)の、強度の奥深くにいたることの代わりに、外面的に包括しようとしたり、理解それ事態を目指したり、懐古的に世界の中に沈潜しようとしたりするとき、歴史への関心はデカダンスの特徴だということだ。歴史感覚は全ての形式や価値を時間化し、その結果、カテゴリー的なものと価値的なものが、具体的相対性として、世界に根を下ろすのである。

     「いつ」と「その時」は歴史感覚の迷信であり、その感覚の異常肥大が不可避的に、現代の歴史主義を生み出したのである。

     精神における文化と形態の黎明期は、この感覚の誘惑とは無縁である。

     いかなる大きな文化も、ある永遠性が充満した大気の中で形成され、その中で個人は自らの全ての気孔を通して永遠性を吸収する。現代の地平により近い大聖堂の建設者たち、エジプトの地平におけるピラミッドの建設者たちや、ホメロスの世界の英雄たちは、その創造物から離れて生きてはいなかった。そしてどの積み上げられた石も、どの犠牲の行為も層をつくっていく。世界の定められた秩序の中で、神的で宇宙的だが人間的ではまったくない構造の中で。歴史的相対主義は時間感覚の歪曲である。文化はその創造物における富を使いはたした後、自らの過去と他人の過去への視線において自分自身から距離を取り始める。創造的な素朴さが終焉した後には、精神が適用される世界から精神を分ける、歴史理解に不可欠な二元論が生じる。文化の創造的時代において、精神生活の咲き誇る発展は、小さな文化の無味乾燥な明晰さには見出すことが難しいような、そんな素朴さを文化に与える。

     その生命の初めから抜きんでている国民は自らの運命の上をなめらかに滑走していく。神話のうちで呼吸すること、政治的生から宗教的生を区別すること、精神的で政治的な固有の創造、権力の獲得、帝国主義などその他の結果は、自然の流れを示しており、流れの中における抵抗しがたいどうしようもなさを示している。

     フランス民族の民族的形成は、フランス人に歴史の段階を飛び越えさせた。運命をもついかなる民族も、世界を真っ二つに割り、自らを世界の中心に据えるが、このような民族もフランス人の場合と同様である。というのも、その生命の最初の行動から、運命をもつどの民族も、世界に何かを、自らにとって全てとなる何かを、もたらすべきであるからだ。

     そのような文化の歴史へ参入に対する、外からの妨害は存在しない。その朝焼けは一つの運命であるか、あるいはそもそも存在しないかだ。われわれルーマニア人は、民族的にいえばドイツ人より同質的であるのに、なぜ千年間も運命を待たなければならなかったのだろうか。不利な地理的状況、条件の不都合、蛮族の侵入、野蛮な隣人のせいだろうか。いや、これらはむしろ、成長の要素であり、成功の要因であっただろう――もし歴史を作るという傾向、盲目的で根源的な傾向が、われわれを抵抗させずに世界の渦巻の中へと投げ込んでいたならば。今われわれは何に達しているのか。歴史を作るという意志である。このことが分かった人間にとっては、小さな文化の悲劇、つまりわれわれの悲劇における理性的で、意識的で、抽象的なもの全てが明瞭である。実際、この歴史の数千年は、われわれを歴史以下の状態という苦境に立たせてきたのだ。

     創造によって大きな文化にまで高められた民族の、公言されないがつねに存在するあこがれは、自らの周りに全世界をかしずかせるということだ。大きな文化が意識的にせよ、無意識的にせよ、そのために戦うのはこの観念なのだ。メシアニズムはその内容によって互いに区別され、対立し、戦いあう。しかしその基盤は同一のものである。動機が生まれる場所は同じであり、その動機付けだけが異なるのである。

     使命という理念とその深い意味について、そして各メシアニズムのイデオロギー的・歴史的対立と、個々のメシアニズムの根底における根本的な同一性について考えてみよう。二つのメシア的民族は平和に過ごすことはできない。世界において同じ意義を果たすことはないが、理念のために(要するに運命のために)同じ強度やドラマティズムをもって戦うので、その民族の実体において理念がより成熟していればいるほど、対立は悪化していく。ユダヤの預言者からドストエフスキー(最近の巨大なメシア的幻視者)まで、歴史の中に道を切り開いてきたどの民族も、理念のために、そしてその民族が普遍的で決定的だとみなす救済の方式のために闘争してきたということを、われわれは知っている。ロシア民族が世界を救うであろう、というドストエフスキーの信仰は、メシア的信念にとっての唯一妥当な表現である。メシアニズムはドイツ人・ロシア人・ユダヤ人によって、つねにむきだしに表されてきた。彼らの使命は、孤立の道、あるいはドラマティックな対立以外によっては担われていくことができない。フランスの全歴史は、ある使命の具体的展開以外のなにものでもない。ただしその使命は、大声で喧伝されたのではなかった、なぜならフランスは血の中にそれを有していて、自然に実行していったのだから。すでに中世の頃から、『フランク人による神の事業』(Gesta Dei per Francos)という考え方、また現代においても、「フランス文明」「永遠のフランス」は、フランス市民の意識の中に、フランスを文化の唯一な実体的存在として植えつけた。数世紀間、フランスとドイツの間の敵対関係はほとんどつねにフランスの優位のうちに終わったが、それはドイツが、その歴史のいくつかの頂点(オットーの帝国、ビスマルク)以外には政治的に成功しなかったからであり、ドイツは他の国民、とりわけフランスの反応によって、間接的に文化的支配を行っていたのである。ルター主義・ロマン主義・ヒトラー主義は、自らに対する反応によって世界に危機を引き起こした。普遍的に受容されやすいヴィジョンの欠如は、精神的にドイツを孤立させ、ドイツ人は自らに生まれつきの特殊性から救済されるために、帝国主義に逃げ込んだ。空間への渇望、広がりの中で現実化するという、征服を通して完全なものになるという欲望は、その形而上学的渦巻が実践的側面を欠かすことがまったくないドイツのメシア的理念の外的で具体的な表現以外のなにものでもない。頭の中の定式で満足し、具体的、あまりに具体的な何かを目指さないような抽象的メシアニズムなど存在しない。帝国主義はメシアニズムの実践的結果である。しかしながら、決してメシア的ではない帝国主義も存在する。というのは、それは歴史的理念のためには戦わないからだ。例を挙げよう。イギリス人の帝国主義は純粋に功利主義的であり、あるいは古代世界では、ローマ人は帝国主義的理念以外のために戦ったのではないのだが、しかし精神的意味のために戦ったのではなかった。ローマ人については言うことができるのは、次のようなものだ。つまりローマ人は巨大な国民をなしたが、もしわれわれがそれを大きな文化と言ってしまうとすると、ニュアンスというものに敬意を払っていないことになってしまう、ということだ。世界に法の意識だけを、植民地化や歴史記述の方法だけをもたらした国民などは、精神の初歩的なカテゴリーを越えてもいないのだ。

     フランスとドイツのメシアニズムは、持続的な対立というものを、もっともメシア的な方向における非還元性においてだけではなく、民族の特徴を種族的に区別する心理的・精神的要素の総体においても説明している。

     様式の文化であり、優雅が生命力の情熱を和らげるフランス文化においては、生と精神の間の対立は、悩ませられるドラマティックな問題としては存在しない(ベルクソン主義はフランスにおいては異端である)。フランス人は統一的に生きるのであって、生からあまり離れもしないし近づきもしない。この理由からして、フランス人のもとに、自然な内容からの排除の、全てが危険にさらされることの、尺度の感覚が失われることの不安や恐怖を見出すことは決してないだろう。フランスにおいては、人間は自らの思想の支配者であり、ドイツにおいては、どの思想家も自らの体系を飛び越していると感じている。ひとたび思索の道を歩み始めると、彼はもう自分の思考を支配することができない。その思考はもっとも奇怪な方向へと向かっていく。崇高なものとグロテスクなものと壮大なものとの混合を、ドイツ哲学の体系のほとんど全てにおいて見出すことができるだろう。フランスにおいては、全ての人間が才能を持つが、天才はまれだ。ドイツにおいては、誰も才能をもたないが、一人の天才が全ての者の才能の欠如のつぐないをするのである。全てのドイツの天才を考えてみたまえ。どの者も世界を、存在の新たな形式をもたらした。ヘーゲル・ヴァーグナー・ニーチェとともに新しい世界が生まれた。彼らのうちの誰もが、自分から世界は始まったのだと言う権利を持っている。われわれはふつう、人間に関して、価値の限られた総体だけを、可能性の減らされた数だけを、存在の限定された形態だけを考える。そうした観点からでは、これらの創造者が人間的なものを越えてしまうのも当然というものだ。

     ドイツの天才の存在と作品の全ては、説明も接近も不可能な、明らかに非人間的な何かを持っている。理解不可能な内的な根底から現れてくるカタストロフ的要素、黙示録のヴィジョン、眩暈を起こさせる情熱に彼らは統合されている。ニーチェは、ベートーヴェンは文化における蛮族の侵入を表していると言った。これはニーチェ自身にもそっくりあてはまる。ドイツ的蛮行は、生と精神との間の均衡を保つことの無能力から生じてくる。この不均衡は、生と精神という現実の間の揺れ動きによって、あるいはその中に連続的にとどまり続けることによってではなく、むしろ同時的存在によって表現される。そしてそのコントラストが、対立的構造を人間の存在において生み出すのである。存在のこの二つの要素が調和することに失敗し、野蛮で根本的な原初の爆発のなかでその生は湧き上がる一方、精神は生のそばで、あるいは生を越えて、驚くべき規模から平凡で無用なファンタジーにいたるまで変化する体系と地平を作り上げる。派生的な次元に、基本的な対立を凍結させる形式を見出すことの無能力から蛮行は生じる。全てのドイツ文化の拡大は、この無能力に、感動的な悲劇を自身に含むこの不均衡に由来する。ドイツのダイナミズムとフランスの静止という、この恐ろしくつまらない区別は、フランスの退化とドイツの横溢としてではなく、緊張の違いとして解釈されるべきである。フランス人は生を覆う形式を突き破ることなしに生き生きとしている。ドイツ人は形式の欠如によってでしか、根本的で原初的なもの以外でしか生き生きとすることができない。生の飛躍はつねに非人間的な何かを、加減を無視するものを持っている。ドイツのメシアニズム全体は、このような根本的で、誇り高くそして爆発的な特徴を有している。それに対してフランスは慎み深く慎重であるが、だからといってドイツより帝国主義的ではない、ということにはならない。

     フランスの慎重さ、自らを隠すためにつけている仮面は、どうしてフランスのメシアニズムが、ドイツのメシアニズムの狂暴な誠実さよりも多くの共感をもってながめられたのか、ということについて、われわれを理解させてくれる。

     対立の中で、矛盾と緊張の中で不安にかられた存在としての、また、標準的なレベルにとどまることが、文化の形式的様式化にとどまることができない存在としてのドイツ人についての定義は、どのように名付けられることができようとも、通常の意味における「教養のある」とだけはされることができない。ドイツはヨーロッパの中で特別な存在である。したがって、ドイツにとっては、われわれが文化という言葉で理解しているものは、ほとんどの場合様式化された月並みにすぎない。ロシアとドイツは他の国によって理解されることはできないのだ。

     フランスは、社交的で繊細な、丁寧で鋭敏な、洗練され知性化された人間をつねに愛した。生の形式を破壊し、デミウルゴス的な躍動の中へと非合理的に突進していくものとしての、生の過剰から死を欲し、断念以外によっては象徴とならない存在としての英雄は、フランスの理想あるいは崇拝の対象では決してなかった。他方で蛮族から、つまりドイツの魂の無限の過剰から、英雄への果てしない崇拝以外の何かが生まれてくるだろうか。言葉の本来の意味において、ドイツはキリスト教的だったことは決してなかった。英雄崇拝はドイツの深い感情にとって聖人崇拝よりも強かった。どのドイツ人も、キリスト教的生の考え方よりも、ゲルマン神話の英雄的ヴィジョンにより内的に親しかった。実際ドイツ人のキリスト教化は、キリスト教のドイツ化であった。ローマ文化圏からの離脱はつねにドイツの理想だった。

     ドイツ人は英雄という理念を越えることは決してない。弁証法神学(カール・バルト)に反対した国家社会主義のイデオローグたちの反応は、この神学が、人間に対するそのペシミズムによって、時間の中ではあらゆる具体的で有効な決定を除外するということに根拠がある。この神学の思想において、神と人間との間の距離はあまりにも大きいので、人間の行為それ自体は無意味であり、神的介入以外ではもはや救われることはできない。
     ドイツ人の理想が聖人的なものではなく、英雄的なものであることは、キリスト教の再ドイツ化の過程において、慈善(カリタス)の理念のかわりに、名誉の理念が導入されたということが証拠になる。高貴さに基づく名誉と誇りの理念は、非キリスト教に特有な理念である。

     さまざまな領域で、ドイツ特有の特徴の方へと方向を深めれば深めるほど、われわれ外国人はその領域に近づくことができなくなる。すぐれてドイツ的な芸術家たちは、われわれにとってもっとも遠いものだ。ドイツ人の大部分は、デューラーよりもホルバインよりもドイツ特有のヴィジョンを表現しているのは、マティアス・グリューネヴァルトであるということに同意するだろう。デューラーやホルバインにおいては、線の優勢が、グリューネヴァルトにおいてわれわれがつねに出会う無限のドラマティズムの実現を妨げているのだ。ドイツの全ての芸術家の中で、グリューネヴァルトはもっとも理解しがたい。率直に言えばラテン人にとっては理解不可能である。われわれはイタリア芸術によって、美しい苦しみという逆説に慣れている。イタリア芸術の全てにわたって苦しみは、美によって非-物質化されており、その結果、この美化は、重い物質性・獣性・取り返しのつかないもの、といった特徴を奪い取る。反対に、ドイツの(そしてロシアの)芸術においては、奇妙な荘厳さのなかで、それらの(物質性などの)特徴が明らかになるのだ。それゆえに、北方の芸術においてマドンナはあれほど深く悲しみをたたえていて、ロシアの芸術にあっても涙を欠かすことはないのだが、この点に南方の芸術との相違がある。南方の超越は変容したエロスと内面性の混合である。このことから、いくつかのプロテスタント神学は、南方のキリスト教とそのローマ的本質に対する、北方のキリスト教の真実性の論拠を引き出した。実際、北方は苦悩をより深く理解し、死の感情に固執し、悲劇を内的に経験した。しかし北方(とりわけドイツ)は、奥深く慎みのあるへりくだり・慈悲・敬虔さ・放棄といった、南方において起こった真のキリスト教的運動、すなわちフランチェスコ会を定義するものを持たなかった。ドイツ人は宗教的深さの点ではラテン世界を上回ってはいたけれども(スペインを除く)、キリスト教に心地よさを感じてはいなかった。

     ドイツは使命を普遍的に生きたことは決してなかった。ドストエフスキーはいみじくもこの国民を抗議の国民と名付けた。ドイツの重要な事件は「アンチ…」の連続である。もしドイツの反対してきた教皇制やカトリック、合理主義や古典主義が存在しなかったならば、ドイツはどのように世界に現れていたのかと問わずにはいられない。ドイツは、一時的にこの国を歪曲した啓蒙主義の流行を除いて、西洋と自然に一体化することはなかった。ドイツの意識の増大はドイツをますます孤立化させた。帝国主義はドイツの普遍主義者が実現した唯一のかたちである。別様にいえば、世界はドイツを拒絶し、そのドイツは、世界を拒絶する。
    プロフィール

    せみ

    Author:せみ
    ルーマニア哲学・思想を勉強しています。
    今年(2013年)もルーマニアに滞在する予定です。ご質問・ご要望等がございましたらお気軽に。

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