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    第一章 小さな文化の悲劇 その1(7頁-18頁)

    第一章  小さな文化の悲劇 Tragedia culturilor mici

     われわれが歴史を無視しうるのは、ただ無知か、あるいエクスタシーという非-歴史的な二つの極においてのみである。その当の数千年の歴史がわれわれに強いるのは、人間の変遷についての巨視的なヴィジョンと、歴史における容赦のない選別である。過去を判定するという必要を感じない者は、たとえ本能がその人を見えないつながりによって世界に結びつけていたとしても、先立つ世界との連帯を欠いている。一方で、現実的なものとしての予言にかかわろうとしない者も、未来における存在を欠いている。われわれはヘーゲルから、思想においてはありきたりのものになってしまっている真理を学んだ。それは歴史的生の深い意味は意識の現実化であり、歴史における進歩とは意識の進歩であるということだ。精神は、自身を自然から解放するにつれて内面化し、自らの現実化から距離をとり、人間が身をまかせる究極の目標としての頂点で精神は精神自身を堅持する。意識は、現実性がよりアクティヴに過去を包含すればするほど、より包括的なものとなる。意識の次元はその歴史的パースペクティヴから決定されるからである。歴史の巨視的なヴィジョンは、ひとを人間の生成における本質的な時期全てに対して同時代的にするが、一方では人間の些細なこと、つまり発展の偶発事からひとを遠ざける。実のところ、微視的なヴィジョンというのは存在しない。というのも、二次的な現象はそれ自体では価値を持っておらず、中心的な現象の前提か、あるいは帰結にすぎないからである。

     この現象の数の上での限界は、歴史の特殊な構造のうちにその根拠をもっており、その構造は大きな文化のダイナミズムの間で展開する。大きな文化は非連続的ではないというのは、必然的にそうなのだ。大きな文化の影響は、どれほどその影響が広まったか、ということで示される。しかし大きな文化の現象においては、異質なもの、すなわち外部から付け足されたものは重要ではなく、内的な核、すなわちある固有の形態への予定が重要なのである。生物学において、定向進化が、生を、外的環境の機械論的抵抗を克服する内的な条件と方向の下で生まれ、確立するものとして明らかにするのと同様に、歴史の世界においても、文化の定向進化が存在し、それは各々の文化の個性を、根源的な条件と決定因子によって、また固有の推進力によって説明するものである。それゆえ、歴史における大きな文化の歩みは、一種の宿命に似ている。というのも、大きな文化の、確立と個性化への、他の文化に自分の様式を押しつけることへの、その暴力の魅惑によって全てのものを奴隷にすることへの傾向を何ものも止めることはできないからである。

     大きな文化が相対的に少ししか存在しないので、歴史的現象の数も運命的に限られている。あれほど多くの民族が、精神的にも政治的にも繁栄することができずに自らの運命を挫折し、ただの辺境の民族的なものに限定され強制されたまま、国民(ネイション)にもなることもできなければ文化を創り出すこともできなかったのだ!天の恩寵がある一方で、地上の恩寵もまた存在するはずである。誰がこの恩寵に達したのか?どの大きな文化もだ。聖人が天使から受けるように、大きな文化も人間から祝福の口づけを受け取ったのだ。

     …世界地図を開く度に、われわれの目は地上の恩寵に達した国々にのみ視線をそそぐ。大きな文化は自らの運命を持っているが、しかし大きな文化はむしろ他の文化にとって、つまり大きな文化の影で自らの不毛を冷やして休息する小さな文化にとって、運命であったろう。

     「歴史」とは、いくつかの名を挙げれば、エジプト・ギリシア・ローマ・フランス・ドイツ・ロシアそして日本を意味する。これらの文化は全ての面で個性を表し、目には見えないが、しかし把握可能な調和と対応関係によって、その文化の全ての領域が互いに結びついている。

     大きな文化の数字上の限界は、大きな文化を産む根源的なある種の核の数の不足によってのみ説明されるのではなく、各々の文化が実現する諸価値の世界もまた限られているということによっても説明される。どの大きな文化も全ての問題に対する解決である。解決が多く存在するとしても、無限というわけではない。例えば、古代ギリシアあるいはフランスは――これらはもっとも完成された文化であろうが――自分たちの流儀で、人間に関する全ての問題を解決し、全ての不確実なものに対して均衡をとり、全ての真理を発明した。賢者の超歴史的観点からすると、フランスの、あるいはギリシアの解決は妥当なものではないかもしれない。しかしその解決の真理性と結論の中に生まれたギリシア人やフランス人にとっては、その解決は心地よいゆりかごを構成していたと考えようではないか。一つの文化のうちに吸収されるとは、その文化の枠組みから押しつけられた限界を、疑いや思考や態度に自らあてはめるということである。この枠組みの変わりやすさは、衰退のはじまり、様式の没落、内的方向の崩壊を示すものだ。小さな文化、すなわち生成において周縁部に位置するグループの特徴とは、この変わりやすさである。小さな文化の客体化においてだけでなく、その核、周囲に広がっていく根源的な中心、その本質的不完全さにおいても、変わりやすさは小さな文化の特徴である。世界の中で、スウェーデン・デンマーク・スイス・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・セルビア等々は何の意味を持っているというのか?小さな文化は、自身を縛り付ける法則に打ち克とうとするかぎりでしか、無名という拘束服の中に小さな文化を固定する運命的宣告から解放されようと試みるかぎりでしか、価値を持たない。生の法則は、一方では大きな文化のもとにあり、他方では小さな文化のもとにある。大きな文化は花開くように進化を消費しつくし、その増大の方へと自然に成長する。フランスは自分が大きいと認識することは一度もなかった。なぜならフランスはつねにそうであったし、たえずこのことを感じていたからだ。劣等コンプレックスは生のマイナーな形態の特徴であり、その形態の生成発展は、模範なしには、原型なしには考えることはできない。

     小さな文化の欠点はあまりにも大きく、それを自然な流れに任せた場合、カリカチュアの域にまで悪化するほどだ。生物学的には、小さな文化は希少な例を示しているのかもしれない。というのは、小さな文化には本能が、根本的な目的へと導く本能が欠けているからだ。大きな文化は歴史的本能を異常肥大なまでに有している。歴史的本能とは妨げることができない傾向であり、この傾向とは、その生成の限られた器の中に全ての可能性を注ぎ込み、存在の過程において最後の資源までもくみつくし、精神のポテンシャルの一つの要素といえどもやりそこねることがないようなものだ。

     歴史的本能は本質的に歴史感覚とは区別される。われわれはニーチェとシュペングラーから次のことを学んだ。それは、精神が創造的躍動(エラン)の、強度の奥深くにいたることの代わりに、外面的に包括しようとしたり、理解それ事態を目指したり、懐古的に世界の中に沈潜しようとしたりするとき、歴史への関心はデカダンスの特徴だということだ。歴史感覚は全ての形式や価値を時間化し、その結果、カテゴリー的なものと価値的なものが、具体的相対性として、世界に根を下ろすのである。

     「いつ」と「その時」は歴史感覚の迷信であり、その感覚の異常肥大が不可避的に、現代の歴史主義を生み出したのである。

     精神における文化と形態の黎明期は、この感覚の誘惑とは無縁である。

     いかなる大きな文化も、ある永遠性が充満した大気の中で形成され、その中で個人は自らの全ての気孔を通して永遠性を吸収する。現代の地平により近い大聖堂の建設者たち、エジプトの地平におけるピラミッドの建設者たちや、ホメロスの世界の英雄たちは、その創造物から離れて生きてはいなかった。そしてどの積み上げられた石も、どの犠牲の行為も層をつくっていく。世界の定められた秩序の中で、神的で宇宙的だが人間的ではまったくない構造の中で。歴史的相対主義は時間感覚の歪曲である。文化はその創造物における富を使いはたした後、自らの過去と他人の過去への視線において自分自身から距離を取り始める。創造的な素朴さが終焉した後には、精神が適用される世界から精神を分ける、歴史理解に不可欠な二元論が生じる。文化の創造的時代において、精神生活の咲き誇る発展は、小さな文化の無味乾燥な明晰さには見出すことが難しいような、そんな素朴さを文化に与える。

     その生命の初めから抜きんでている国民は自らの運命の上をなめらかに滑走していく。神話のうちで呼吸すること、政治的生から宗教的生を区別すること、精神的で政治的な固有の創造、権力の獲得、帝国主義などその他の結果は、自然の流れを示しており、流れの中における抵抗しがたいどうしようもなさを示している。

     フランス民族の民族的形成は、フランス人に歴史の段階を飛び越えさせた。運命をもついかなる民族も、世界を真っ二つに割り、自らを世界の中心に据えるが、このような民族もフランス人の場合と同様である。というのも、その生命の最初の行動から、運命をもつどの民族も、世界に何かを、自らにとって全てとなる何かを、もたらすべきであるからだ。

     そのような文化の歴史へ参入に対する、外からの妨害は存在しない。その朝焼けは一つの運命であるか、あるいはそもそも存在しないかだ。われわれルーマニア人は、民族的にいえばドイツ人より同質的であるのに、なぜ千年間も運命を待たなければならなかったのだろうか。不利な地理的状況、条件の不都合、蛮族の侵入、野蛮な隣人のせいだろうか。いや、これらはむしろ、成長の要素であり、成功の要因であっただろう――もし歴史を作るという傾向、盲目的で根源的な傾向が、われわれを抵抗させずに世界の渦巻の中へと投げ込んでいたならば。今われわれは何に達しているのか。歴史を作るという意志である。このことが分かった人間にとっては、小さな文化の悲劇、つまりわれわれの悲劇における理性的で、意識的で、抽象的なもの全てが明瞭である。実際、この歴史の数千年は、われわれを歴史以下の状態という苦境に立たせてきたのだ。

     創造によって大きな文化にまで高められた民族の、公言されないがつねに存在するあこがれは、自らの周りに全世界をかしずかせるということだ。大きな文化が意識的にせよ、無意識的にせよ、そのために戦うのはこの観念なのだ。メシアニズムはその内容によって互いに区別され、対立し、戦いあう。しかしその基盤は同一のものである。動機が生まれる場所は同じであり、その動機付けだけが異なるのである。

     使命という理念とその深い意味について、そして各メシアニズムのイデオロギー的・歴史的対立と、個々のメシアニズムの根底における根本的な同一性について考えてみよう。二つのメシア的民族は平和に過ごすことはできない。世界において同じ意義を果たすことはないが、理念のために(要するに運命のために)同じ強度やドラマティズムをもって戦うので、その民族の実体において理念がより成熟していればいるほど、対立は悪化していく。ユダヤの預言者からドストエフスキー(最近の巨大なメシア的幻視者)まで、歴史の中に道を切り開いてきたどの民族も、理念のために、そしてその民族が普遍的で決定的だとみなす救済の方式のために闘争してきたということを、われわれは知っている。ロシア民族が世界を救うであろう、というドストエフスキーの信仰は、メシア的信念にとっての唯一妥当な表現である。メシアニズムはドイツ人・ロシア人・ユダヤ人によって、つねにむきだしに表されてきた。彼らの使命は、孤立の道、あるいはドラマティックな対立以外によっては担われていくことができない。フランスの全歴史は、ある使命の具体的展開以外のなにものでもない。ただしその使命は、大声で喧伝されたのではなかった、なぜならフランスは血の中にそれを有していて、自然に実行していったのだから。すでに中世の頃から、『フランク人による神の事業』(Gesta Dei per Francos)という考え方、また現代においても、「フランス文明」「永遠のフランス」は、フランス市民の意識の中に、フランスを文化の唯一な実体的存在として植えつけた。数世紀間、フランスとドイツの間の敵対関係はほとんどつねにフランスの優位のうちに終わったが、それはドイツが、その歴史のいくつかの頂点(オットーの帝国、ビスマルク)以外には政治的に成功しなかったからであり、ドイツは他の国民、とりわけフランスの反応によって、間接的に文化的支配を行っていたのである。ルター主義・ロマン主義・ヒトラー主義は、自らに対する反応によって世界に危機を引き起こした。普遍的に受容されやすいヴィジョンの欠如は、精神的にドイツを孤立させ、ドイツ人は自らに生まれつきの特殊性から救済されるために、帝国主義に逃げ込んだ。空間への渇望、広がりの中で現実化するという、征服を通して完全なものになるという欲望は、その形而上学的渦巻が実践的側面を欠かすことがまったくないドイツのメシア的理念の外的で具体的な表現以外のなにものでもない。頭の中の定式で満足し、具体的、あまりに具体的な何かを目指さないような抽象的メシアニズムなど存在しない。帝国主義はメシアニズムの実践的結果である。しかしながら、決してメシア的ではない帝国主義も存在する。というのは、それは歴史的理念のためには戦わないからだ。例を挙げよう。イギリス人の帝国主義は純粋に功利主義的であり、あるいは古代世界では、ローマ人は帝国主義的理念以外のために戦ったのではないのだが、しかし精神的意味のために戦ったのではなかった。ローマ人については言うことができるのは、次のようなものだ。つまりローマ人は巨大な国民をなしたが、もしわれわれがそれを大きな文化と言ってしまうとすると、ニュアンスというものに敬意を払っていないことになってしまう、ということだ。世界に法の意識だけを、植民地化や歴史記述の方法だけをもたらした国民などは、精神の初歩的なカテゴリーを越えてもいないのだ。

     フランスとドイツのメシアニズムは、持続的な対立というものを、もっともメシア的な方向における非還元性においてだけではなく、民族の特徴を種族的に区別する心理的・精神的要素の総体においても説明している。

     様式の文化であり、優雅が生命力の情熱を和らげるフランス文化においては、生と精神の間の対立は、悩ませられるドラマティックな問題としては存在しない(ベルクソン主義はフランスにおいては異端である)。フランス人は統一的に生きるのであって、生からあまり離れもしないし近づきもしない。この理由からして、フランス人のもとに、自然な内容からの排除の、全てが危険にさらされることの、尺度の感覚が失われることの不安や恐怖を見出すことは決してないだろう。フランスにおいては、人間は自らの思想の支配者であり、ドイツにおいては、どの思想家も自らの体系を飛び越していると感じている。ひとたび思索の道を歩み始めると、彼はもう自分の思考を支配することができない。その思考はもっとも奇怪な方向へと向かっていく。崇高なものとグロテスクなものと壮大なものとの混合を、ドイツ哲学の体系のほとんど全てにおいて見出すことができるだろう。フランスにおいては、全ての人間が才能を持つが、天才はまれだ。ドイツにおいては、誰も才能をもたないが、一人の天才が全ての者の才能の欠如のつぐないをするのである。全てのドイツの天才を考えてみたまえ。どの者も世界を、存在の新たな形式をもたらした。ヘーゲル・ヴァーグナー・ニーチェとともに新しい世界が生まれた。彼らのうちの誰もが、自分から世界は始まったのだと言う権利を持っている。われわれはふつう、人間に関して、価値の限られた総体だけを、可能性の減らされた数だけを、存在の限定された形態だけを考える。そうした観点からでは、これらの創造者が人間的なものを越えてしまうのも当然というものだ。

     ドイツの天才の存在と作品の全ては、説明も接近も不可能な、明らかに非人間的な何かを持っている。理解不可能な内的な根底から現れてくるカタストロフ的要素、黙示録のヴィジョン、眩暈を起こさせる情熱に彼らは統合されている。ニーチェは、ベートーヴェンは文化における蛮族の侵入を表していると言った。これはニーチェ自身にもそっくりあてはまる。ドイツ的蛮行は、生と精神との間の均衡を保つことの無能力から生じてくる。この不均衡は、生と精神という現実の間の揺れ動きによって、あるいはその中に連続的にとどまり続けることによってではなく、むしろ同時的存在によって表現される。そしてそのコントラストが、対立的構造を人間の存在において生み出すのである。存在のこの二つの要素が調和することに失敗し、野蛮で根本的な原初の爆発のなかでその生は湧き上がる一方、精神は生のそばで、あるいは生を越えて、驚くべき規模から平凡で無用なファンタジーにいたるまで変化する体系と地平を作り上げる。派生的な次元に、基本的な対立を凍結させる形式を見出すことの無能力から蛮行は生じる。全てのドイツ文化の拡大は、この無能力に、感動的な悲劇を自身に含むこの不均衡に由来する。ドイツのダイナミズムとフランスの静止という、この恐ろしくつまらない区別は、フランスの退化とドイツの横溢としてではなく、緊張の違いとして解釈されるべきである。フランス人は生を覆う形式を突き破ることなしに生き生きとしている。ドイツ人は形式の欠如によってでしか、根本的で原初的なもの以外でしか生き生きとすることができない。生の飛躍はつねに非人間的な何かを、加減を無視するものを持っている。ドイツのメシアニズム全体は、このような根本的で、誇り高くそして爆発的な特徴を有している。それに対してフランスは慎み深く慎重であるが、だからといってドイツより帝国主義的ではない、ということにはならない。

     フランスの慎重さ、自らを隠すためにつけている仮面は、どうしてフランスのメシアニズムが、ドイツのメシアニズムの狂暴な誠実さよりも多くの共感をもってながめられたのか、ということについて、われわれを理解させてくれる。

     対立の中で、矛盾と緊張の中で不安にかられた存在としての、また、標準的なレベルにとどまることが、文化の形式的様式化にとどまることができない存在としてのドイツ人についての定義は、どのように名付けられることができようとも、通常の意味における「教養のある」とだけはされることができない。ドイツはヨーロッパの中で特別な存在である。したがって、ドイツにとっては、われわれが文化という言葉で理解しているものは、ほとんどの場合様式化された月並みにすぎない。ロシアとドイツは他の国によって理解されることはできないのだ。

     フランスは、社交的で繊細な、丁寧で鋭敏な、洗練され知性化された人間をつねに愛した。生の形式を破壊し、デミウルゴス的な躍動の中へと非合理的に突進していくものとしての、生の過剰から死を欲し、断念以外によっては象徴とならない存在としての英雄は、フランスの理想あるいは崇拝の対象では決してなかった。他方で蛮族から、つまりドイツの魂の無限の過剰から、英雄への果てしない崇拝以外の何かが生まれてくるだろうか。言葉の本来の意味において、ドイツはキリスト教的だったことは決してなかった。英雄崇拝はドイツの深い感情にとって聖人崇拝よりも強かった。どのドイツ人も、キリスト教的生の考え方よりも、ゲルマン神話の英雄的ヴィジョンにより内的に親しかった。実際ドイツ人のキリスト教化は、キリスト教のドイツ化であった。ローマ文化圏からの離脱はつねにドイツの理想だった。

     ドイツ人は英雄という理念を越えることは決してない。弁証法神学(カール・バルト)に反対した国家社会主義のイデオローグたちの反応は、この神学が、人間に対するそのペシミズムによって、時間の中ではあらゆる具体的で有効な決定を除外するということに根拠がある。この神学の思想において、神と人間との間の距離はあまりにも大きいので、人間の行為それ自体は無意味であり、神的介入以外ではもはや救われることはできない。
     ドイツ人の理想が聖人的なものではなく、英雄的なものであることは、キリスト教の再ドイツ化の過程において、慈善(カリタス)の理念のかわりに、名誉の理念が導入されたということが証拠になる。高貴さに基づく名誉と誇りの理念は、非キリスト教に特有な理念である。

     さまざまな領域で、ドイツ特有の特徴の方へと方向を深めれば深めるほど、われわれ外国人はその領域に近づくことができなくなる。すぐれてドイツ的な芸術家たちは、われわれにとってもっとも遠いものだ。ドイツ人の大部分は、デューラーよりもホルバインよりもドイツ特有のヴィジョンを表現しているのは、マティアス・グリューネヴァルトであるということに同意するだろう。デューラーやホルバインにおいては、線の優勢が、グリューネヴァルトにおいてわれわれがつねに出会う無限のドラマティズムの実現を妨げているのだ。ドイツの全ての芸術家の中で、グリューネヴァルトはもっとも理解しがたい。率直に言えばラテン人にとっては理解不可能である。われわれはイタリア芸術によって、美しい苦しみという逆説に慣れている。イタリア芸術の全てにわたって苦しみは、美によって非-物質化されており、その結果、この美化は、重い物質性・獣性・取り返しのつかないもの、といった特徴を奪い取る。反対に、ドイツの(そしてロシアの)芸術においては、奇妙な荘厳さのなかで、それらの(物質性などの)特徴が明らかになるのだ。それゆえに、北方の芸術においてマドンナはあれほど深く悲しみをたたえていて、ロシアの芸術にあっても涙を欠かすことはないのだが、この点に南方の芸術との相違がある。南方の超越は変容したエロスと内面性の混合である。このことから、いくつかのプロテスタント神学は、南方のキリスト教とそのローマ的本質に対する、北方のキリスト教の真実性の論拠を引き出した。実際、北方は苦悩をより深く理解し、死の感情に固執し、悲劇を内的に経験した。しかし北方(とりわけドイツ)は、奥深く慎みのあるへりくだり・慈悲・敬虔さ・放棄といった、南方において起こった真のキリスト教的運動、すなわちフランチェスコ会を定義するものを持たなかった。ドイツ人は宗教的深さの点ではラテン世界を上回ってはいたけれども(スペインを除く)、キリスト教に心地よさを感じてはいなかった。

     ドイツは使命を普遍的に生きたことは決してなかった。ドストエフスキーはいみじくもこの国民を抗議の国民と名付けた。ドイツの重要な事件は「アンチ…」の連続である。もしドイツの反対してきた教皇制やカトリック、合理主義や古典主義が存在しなかったならば、ドイツはどのように世界に現れていたのかと問わずにはいられない。ドイツは、一時的にこの国を歪曲した啓蒙主義の流行を除いて、西洋と自然に一体化することはなかった。ドイツの意識の増大はドイツをますます孤立化させた。帝国主義はドイツの普遍主義者が実現した唯一のかたちである。別様にいえば、世界はドイツを拒絶し、そのドイツは、世界を拒絶する。
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    プロフィール

    せみ

    Author:せみ
    ルーマニア哲学・思想を勉強しています。
    今年(2013年)もルーマニアに滞在する予定です。ご質問・ご要望等がございましたらお気軽に。

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