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    第一章 小さな文化の悲劇 その3(22頁-29頁)

     メシアニズムは民族の内部の力の中で生まれる。発展していくにつれ、メシアニズムは民族の力を強めないわけではないので、メシアニズムは生命力に溢れる活動を行う。メシアニズムとは、民族固有の必要のために有機体の中で生まれた強壮剤である。ユダヤ人の存在の奇蹟は、彼らの使命の炎が常に保たれ続けたことによって、という以外に、どのように説明されるというのか?ユダヤ人の歴史への飛躍において、その炎は羽ではなくまさに足を燃やしているように見える。そうでなければ、彼らの時間の中でのせっかちさの、その生のどの瞬間にも溢れる熱気の、地上のものへの情熱の、地上の財産の一つたりとも、月下の世界のいかなる喜びも失うまいという意志の説明がつかないのだ。もしユダヤ人の発展において、メシア的熱気を一瞬でも欠いた時があったならば、彼らはその瞬間地上から消滅していただろう。何千年にわたるユダヤ人の現存は、ユダヤ人を受け入れられるべき当然のものにしてしかるべきだったろう。しかしユダヤ人は拒絶以外に出会うことはなかった。世界は彼らを決して受け入れなかったし、これからも受け入れないだろう。彼らは歴史的次元では決して成功しないという運命を宣告されている。歴史は彼らにとってもっとも情熱的なあこがれであるにもかかわらず。もしいつか彼らが完全に実現することに成功した時、我々はその時以外に、歴史の終わりというものを考えることはできない。彼らにとっての出口とは、黙示録的解決なのだから。本質的に預言に基づいている民族は、預言において救われることができるだろう。彼らは求め続ける、しかし誰が知っていよう、運命の終焉、地上の楽園、そこに達するのは、自身の廃墟の上なのだということを…。

     今まで彼らのような地上と生に貪欲な民族は存在しなかった。それにもかかわらず、地上との結びつきを宗教的に生きたことに、彼らの奇妙な強さがあるのだ。自らの運命に没頭した結果、彼らは運命を一つの宗教にした。ユダヤのメシアニズムとユダヤ教とは、完全に互いを支え合っている。彼らほど神から多くの利益をくみ取った民族は存在しない。それゆえ、彼らの運命がこれほど過酷で地獄のようであるのは、天の復讐以外に説明されることはできないのだ…。

     ロシア人とユダヤ人との間の差違は、ユダヤ人が自らの運命を宗教的に生きているのに対して、ロシア人は宗教を運命として生きているということにある。この二つの民族は、彼らに本質的な非-歴史的なものによって、歴史を複雑にした。ユダヤ的メシアニズムの理念は、ロシアのそれより寛容ではない。というのも、たとえそれが純粋に理論上のものであって、実際には自分の運命の軸だけを目指していたとしても、ロシア人は普遍的救済というヴィジョンの中でもがいていた。それに対して、ユダヤ人は全ての面で、民族として、人種として、一族として等々――他は神のみぞ知る――自らの救済以外を目指すことはなかったからだ。

     ユダヤ人が考え出した全てのこと、とりわけ彼らが苦しんだ全てのこと、彼らの存在の恐ろしい呪いの全てにおいて、彼らがあきらめの誘惑を深く考えることは常になかったし、感じもしなかったということが、ユダヤ人の世界への執着を説明する。ユダヤ人は自らの運命にあまりに結びついていて、あまりに沈み込んでいるために、苦悩から不可避の帰結を導き出すことは決してなかった。それゆえ、ユダヤ教は魂に上昇的な振動を与えた、と言うことはできない。ユダヤ人をこの世を天に捧げすぎ、天をこの世に持ち出ししすぎた。むなしさとしての生の理解(ヨブ・ソロモン・エレミア)は純粋なリリシズムであって、それをたたえた魂にあってはこのリリシズムはまことに深いものだが、しかしそれはユダヤ人の集団的意識からは消えてしまった。彼らの支配的感情は――それはユダヤ人の心理の曖昧さ、あるいは複雑さを説明するものだが――つねに奇妙な恐怖であり、この恐怖は世界からユダヤ人を排除するどころか、むしろより取り返しのつかないかたちで世界にユダヤ人をはめ込んだのである。人間がおぼえた感情の中でも恐怖は、確固とした精神的現実として、とらえがたいものの、不意打ちの、ニュアンスの、精神的な非還元的なものの意味で心理にもっとも影響を与える。恐怖のみが人間を変化させ、恐怖の中でのみ人間は他のものになる。恐怖の中で、世界における不安と、世界への執着が表されるのだ。けれどもこの精神の逆説は理解可能なものである。なぜなら、われわれは、われわれが高く評価するもの以外を、自分の本質とは違った本質を持つがゆえに完全に手に入れることができないもの以外を、怖がることはないからだ。恐怖はわれわれ自身の中軸に対してわれわれを盲目にする。それゆえに恐怖の中で人間は自分自身を捜し回るが、見つけ出すことはない。ここにユダヤ人が救われないことについての心理的理由があるのかも知れない…。

     民族の歴史的呼吸は、その使命が偉大であれば偉大であるほど深いものになる。それゆえに、大きな文化全てにおいて、メシア的ヴィジョンの諸次元は、壮大な規模で姿を現す。それに対して、自らにも世界にも臆病な民族は即席の使命を考え出す。それは彼らが実現する可能性が高いほどの貧しい使命である。メシアニズムがつねに普遍的救済論であったロシアに対して、小さい文化の民族的預言は歴史の限定された一時的意味を超えることはない。大規模な運命を決して企てたことがなかったルーマニアに、何のメシアニズムの可能性があるというのか?ルーマニアの未来について述べることをせず、我々の過去の不吉な暗闇の中に民族の絶頂を見たエミネスク*1の例は恐ろしいものではないだろうか?ルーマニアはメシア的思想家を持つことはなかった。というのも、ルーマニアについて何らかのヴィジョンを持つ者たちは全て、局地的な預言と、ある一つの歴史的時期の限定を超えることはなかったからだ。ルーマニアの民族的預言は、エスニックな限界と限定を上回ることはなく、時間を超えた次元の預言ではなく、歴史的出来事の預言であった。エミネスクは民族のさかさまの預言者である。ポーランドのメシアニズムの雰囲気を知っていたバルチェスク*2さえも――彼はかつてあれほど期待に満ちあふれていたのに、実際には全く妥協的であった――過去の預言者以上のものではなかった。このロマン主義の過剰に対して、ヨルガ*3やプルヴァン*4のような者はただの伝統主義者に過ぎない。伝統主義とは過去と未来との間の均衡を意味する。伝統主義と違って国民的預言は、国民の実現の財宝とみなされた未来に中心を置く。伝統主義は安易で消極的な定式である。それは民族との連帯のあらわれであるが、世界において重要な意味を与えようとする意志のあらわれではない。どの民族主義も、民族の内的限界を受け入れる。その場合、国民は、水へ突進していく牛のように盲目的に、自動的に未来に向かって進んでいくので、もはやすることは何もないというわけだ。

     歴史的段階を通り抜けることで初めて民族は世界における運命を持つようになる。それまで民族は歴史-以前の状態にとどまるのだ。しかし、不可能ではないとしても、そのような段階を通過する正確な時期と日付をもとめるのは難しい。そのために民族が戦う価値が真の歴史的世界の中で結晶化するとき、その民族は諸文化の生成の流れへと統合される。この「結晶化」の時期を正確にするのは無用である。なぜなら世界において確固たる存在となることは、全ての次元で同時にそうなるわけではなく、ほとんどの場合、一つ一つ継続的に成立するものだからだ。このようにして、イタリアの場合、ルネサンスを通して、精神的次元によって歴史に参入したのだ。

     文化の理論において重要なことは、民族の確立が目立たないエピソードに過ぎないのか、それとも本質的な運命であるのかを知ることである。スペインとオランダ―たった一世紀間だけ巨大な権力となり、その後は、運命の蜘蛛の巣にとらわれて迷ってしまった国々―のために、大きな文化と、小さくマイナーな文化との間の中間のカテゴリーの位置を用意しなければならない。これら中間の文化の失敗の理由はさまざまだが、本質的な理由はもちろん、諸次元が調和していなかったこと、つまり全ての領域を生成の流れの過程において対応する構造の中で実現することができなかったことにある。もし十字架の聖ヨハネと聖テレジアの神秘主義しか存在しなかったとしても、スペインが霊的に成功したということに議論の余地はないだろう。しかし政治的にはそれと同じような水準を保つことはできなかった。長期間巨大な権力として確立し続けることができなかったし、堅固な国家の形態を作ることもできなかった。スペインとは世界における主観的精神の勝利を意味する。(決して本来の意味での「国民」ではなかった)失敗した中間の文化、すなわちもう少しで国民にならんとするところで頂点に達してしまい、国民になることがなかった文化に特徴的な例としては、コロンブス以前のマヤ文化も劣るわけではない。コンキスタドールが他のメキシコ文化やペルー文明を破壊するために襲来する2、3世紀前に、マヤは外的な理由なしに滅亡していた。数学・暦・記念碑的偉大さとしてはエジプトのものに匹敵しうる建築・インド美術を想起させる荘厳さを持っていたこの文化は、歴史的怪異として崩壊し消滅した。この急激なデカダンスについての説明は、政治的欠陥、すなわち外的運命を組織化する能力の欠如とされる以外にはありえず、その欠陥は、精神的発達の代償であったとはいえ、文化の持続する使命の均衡に達することができなかった。

     歴史において重要なものは、大きな文化の上昇と崩壊であり、大きな文化間の不可避の対立である。大きな文化の悲劇に対し、大きな文化の生の影と光を背景として展開される、影でもなく光でもないマイナーな明暗の中で、小さな文化の悲劇が、そしてその無名性を克服しようとする、生成の流れの慰撫を味わおうとする辛い戦いが行われるのだ。準-歴史、すなわち大きな文化の段階や水準より下の水準に存在するので、小さな文化は自らの桎梏を打ち破ることでのみ水準を上げていくことができる。自らに固有な運命に対する非連続性こそ小さな文化の成功の条件である。歴史的飛躍が唯一の強迫観念でなければならない。なぜなら小さな文化にとっての救済は、歴史は自然ではないということにあるからだ。種子的運命を持つという意味で、全ての文化はあらかじめ決定されている。運命は核の中に刻み込まれている。しかしそれは飛躍の可能性のためなのだ。われわれが以前語った地上の恩寵に触れた小さな文化は、その運命の中に飛躍の可能性を刻みつける。その発展の半眠状態のある瞬間に、創造物ではなく緊張の点で大きな文化の水準へと小さな文化を高める豊かな断絶が起こるのである。飛躍は欲すればできるようなものではない。しかし意志は歴史的変容に拡大を与えることができる。人間はすでに種子においてそうであるもの以外を欲することはできないのだ。

     自然に発展するという有機体論的考え方は、われわれの運命において無名の千年を構成していた鈍さ、のろさ、半眠状態をわれわれに強いる。有機体論はあらゆる飛躍に対する理論的反対を表しており、したがって、その帰結はどの小さな文化からも抜け道を排除してしまう。ルーマニアの民族的・政治的思想がこれほどまでに非革命的であったのは、有機体論の過剰な蔓延と、ルーマニアの民族主義にもたらされた、ドイツのロマン主義的歴史主義の直接的・間接的影響のせいである。

     近代文化の生のリズムが、静けさと相対的均衡を特徴とするとしたら、われわれ運命の純粋に有機的なヴィジョンは世界において豊かさを持つかもしれない。というのも、その場合、テンポを合わせることの可能性がそれほど排除されてはいないだろうから。情熱は民族をより有利にする要素であるが、しかしより速く民族を消耗させる。加速したリズムは近代文化の急激な疲労を説明するものであり、またある程度、ギリシアとローマの疲労をも説明するものである。出来事の性急さは魂の強烈な活動性を前提としており、その活動性は、自分自身の熱狂を飲み込んでしまう。われわれがインドにおいて起こった継起的現象を、数千年の期間にわたって眺めるとき、その数千年の間に驚くべき間隔、凄まじいほどの時間のひらきがあるのに気づ一世紀かかってようやく一つの出来事が呼吸しはじめ、そしてそれはほとんどの場合、宗教的意味、すなわち時間に中立の意味を持つのである。東洋文化のゆっくりとしたリズムは東洋文化自身を保ち、その実体を保存した。反対に、近代文化の呼吸は窒息死しかねないほどに性急である。近代文化はこの数世紀で自らの実体を失った。だからあれほどまでに生命力が減少しているのだ。

     もし近代文化のリズムがこんなにも速くなければ、われわれは通常の発展を行うことができたかもしれない。のろさや途切れがちな鼓動が、時とともに、われわれをあの焦がれた高みへと押し上げることだろう。しかし現実的には、集団的リズムへと入るためには、歴史的諸段階を飛び越えるしかないのだ。

     もし小さな文化が発展を自然に行おうとしても、―すなわち大きな文化が成功したプロセスを小さな規模で通り抜けるということだ―世界の何らかの歴史において、特別な位置に達することに成功することは決してないだろう。デカダンスを恐れるあまり、生物学的状態から脱しようとしないならば、ヴァイタリティーや若々しさなど何の役に立つのか?そして栄光がなければ、歴史は生物学でしかないのだ。

    ―以下新版では削除―

     歴史的飛躍の概念は、キルケゴールにおける諸段階の問題で表された質的飛躍の観念との類似性を持っている。美学的段階から倫理的段階への、倫理的段階から宗教的段階への移行は、単なる推移ではなく、質的飛躍である。直接的で美学的な経験の後での、倫理と宗教的内面性への飛躍は、実体的連続性の断絶を引き起こすことなく行われることはない。

    ―以上削除箇所―

     小さな文化は段階を経なければならないが、しかしそれはゆっくりとした自然な動きの中ではなく、飛躍の情熱の中で行われなければならない。それぞれの文化の歴史的水準を知る前に、何がその段階であるのかを正確にすることはできない。このことが、小さな文化にとって、自身からの、自らの存在の呪いからの脱出以外の救済は存在しないということを示している。しかし結局のところ、誰にとってこの問題は痛ましいものなのだろうか?歴史家にとってか?決してそんなことはありえない。大きな文化という素晴らしい例を自由に扱うことができるというのに、いくつかの国が不幸を強いられ、世界から閉め出されているということに歴史家が苦しむようなことがあるだろうか?歴史家は冷静で無関心なシンパシーでもって現実に表面的に触れるのみである。しかし小さな文化の代表者にとっては、この問題は客観性の範囲を完全に超え、直接的で主観的な特性をもつ。もしわれわれがルーマニアの現象に深く密着しないのであれば、そしてルーマニアに対して完全に客観的であるならば、ルーマニアが世界で一つの役割を演じるかどうかなどは少しも気にかからないだろう。その場合、ルーマニアがマイナーな民族の運命の中に組み込まれてしまうのはいかにも当然のように見え、その無名性がわれわれを苦しませることは決してないだろう。しかしルーマニアに対する情熱は、この国が今まで受けてきた平凡にとどまり続ける、という不幸を受け入れることなどできはしない。犯罪的な明晰さが、すぐ消滅してしまうような小さい枠にルーマニアを据えてしまうのに対して、情熱は魂の中心、したがって世界のリズムの中にルーマニアを定める。特定の諸価値の総合や、その二次的な実現にとってではなく、文化の中で煩悶し、そのあるがままの姿を受け入れずに、自らを救いつつ文化を救おうと欲する人間にとって、この文化の問題は興味深いものなのだ。文化の問題は歴史哲学のみならず人間学の主題をもなす。人間の運命を歴史的に考えると、大きな文化は自明性を確証される一方、人間の運命が、純粋に人間的な条件に、その異常性と不完全性から生じた悲劇的剰余をつけ加える小さな文化においては、決してそのようなことはない。小さな文化に生まれた人間の情熱はつねに傷つけられている。二流の国に生まれることは全く楽なことではないのだ。明晰さが悲劇になる。メシア的熱狂を絞め殺さなければ、われわれは不満の海の中で溺死してしまうだろう。


    *1 ミハイ・エミネスク(Mihai Eminescu 1850-1889)ルーマニアの国民的詩人。
    *2 ニコラエ・バルチェスク(Nicolae Bălcescu 1819-1852)歴史家、政治家。1848年の革命の主要なリーダー。
    *3 ニコラエ・ヨルガ(Nicolae Iorga 1871-1940)歴史家、政治家。百科事典的な碩学で著作は千を超す。
    *4 ヴァシーレ・プルヴァン(Vasile Pârvan 1882-1927)歴史家、考古学者。主にダキア=ゲタエ時代の古代史を研究した。
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    プロフィール

    せみ

    Author:せみ
    ルーマニア哲学・思想を勉強しています。
    今年(2013年)もルーマニアに滞在する予定です。ご質問・ご要望等がございましたらお気軽に。

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