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    第二章 ルーマニアのアダムの状態 その1(37-41頁)

     おお神よ!千年間貴方はいったい何をしていたのか?百年前からのわれわれルーマニア人の生は、われわれは何もしてこなかったということを認識するプロセス以外の何ものでもない。他の場所で成功した者との比較は、われわれの過去に固有な無と、われわれの文化の非存在を明らかにした。オルテガ・イ・ガセットは、スペインはその始原から継続するデカダンスを生きていると考えているが、ならばルーマニアについては何を言うことができるというのか。この国は他の国が滅亡しはじめた時に生まれたのだ。千年間というもの、歴史はわれわれの上で行われた。歴史以下の千年。われわれに意識が生まれたとき、無意識のうちに行われていた創造のプロセスを意識するようになったのではなく、数世紀にわたる精神的不毛を認識したのだった。大きな文化が人間を無からの創造に直面させるのに対して、小さな文化は、人間を文化のに直面させる。歴史的観点からすると、われわれは千年を失い、生物学的観点からは、われわれは何も勝ち取らなかった。あれほど長い植物状態にあっては、民族の生命的実質は使い果たされることはなかったとしても、強まったり活発になることはまったくなかった。ルーマニアの過去が私を得意げにすることは決してないし、自由を待つと言いながら、あれほど長く惰眠を貪ることができたプライドに欠ける私の祖先に、鼻を高くすることもない。ルーマニアは、ルーマニアを始めるかぎりにおいて意味を持つ。われわれがルーマニアにおいて再生するために、ルーマニアを内的に創造しなければならない。この国の創造こそ、われわれにとって唯一のオブセッションであるべきである。

     ルーマニアにおいて予言者の役割を演じることを欲する者、またそうすることを定められている者は、次のことを確信しなければならない。それは、この国にあっては、いかなる行動・活動・態度も絶対的な始まりであること、連続性も再開も方針も命令も存在しないということである。行わなければいけないことに対しては、誰もわれわれに先行せず、誰もわれわれを追い立てず、誰も助けてくれない。他の民族は自分自身の始まりを素朴に、意識的に、非反省的に生き、感知できないプロセスを通して、自然に発展し、自分でも分からず滑走していき、物質の眠りから歴史的生に目覚めた。われわれは反対に、始めるということを、そして生の始まりの明晰性と文化の黎明の反省的で生きた意識を持たなければならないということを知っているし、また知るべきである。

     われわれの生への目覚めは観点の拡大と一致している。この拡大を他の民族はその黄昏のなかで知るのである。
     このパラドクスは、他の民族が死なんとするとき生まれる民族に、また死なんとする民族が、闇に負かされないために眼を大きく見開くそのときに、かすかに光を垣間見る眼を持つ民族に定められている。われわれの脆い生に方向を与えるために、強固な意識を持つことがないならば、われわれは決して歴史を作ることはないだろう。われわれの「歴史」の奇妙なパラドクスを利用しないのならば、われわれは終わりである。

     ルーマニア人のうちの誰もがアダムの状態(Adamism)にある。あるいは、われわれの状況はアダムより惨めであるかもしれない。なぜなら、われわれは、失ったものを焦がれるようなものを何も持ってはいないのだから。全てが、まったく全てが始められなければならない。われわれがやるべきことは未来に関するもの以外ない。文化におけるアダムの状態(Adamism)とは、いかなる精神的・歴史的・社会的生の問題も、最初のものとして生じるということ、われわれの体験するもの全ては、新しい価値の世界のなかで、他と比較できない秩序と様式のなかで決定されるということを意味する。ルーマニア文化はアダムの文化である。というのも、ルーマニアおいて生まれる全てのものは先例を持たないからだ(これは軽蔑的な意味においてだ)。各々がアダムの運命を再演するのである。ただし違いがあるとすれば、アダムは楽園から追い払われたのに対して、われわれは長大な歴史的眠りのなかから追い払われるのだ。

     アダムの状態は、予言者的な躍動(エラン)に欠け、戦闘的本能も個人の実現への意志も持たない虚弱な魂だけを麻痺させる。忌まわしいことは、アダムの状態が危機や懐疑を引き起こす可能性があるということではなく、その前に棒立ちになることである。

     無に等しい文化の悲劇を、積極的熱狂でもって耐えるべきであり、自らの力によって過去の空虚を攻撃するべきであり、イニシアティヴをとって、われわれの歴史的眠りのうちでくすぶったもの全てを把握しようと努めるべきである。われわれの誇りは、全てが行わなければならないということ、各々がわれわれの歴史の神になることができるということ、従わざるをえない道など存在しないということで、満足するべきである。各々の存在が、ルーマニアの基礎における一つの要素をなさなければならない。これこそわれわれの使命である。ルーマニアにおいて予言でないもの全ては、ルーマニアに対する裏切りを企てているのだ。

     ルーマニア人全員の頭に入れなければならないのは、他人の予言ではなく、われわれの予言的存在が問題なのだ、ということだ。われわれの使命の必要性と意味について、今こそ徹底的に確信するときではないのか? ルーマニアにおける全てのものの基礎を作らないのなら、もはやどうにもなるまい。今までのルーマニアのナショナリズム(民族主義)はポジティブなものではなく、パトリオティズム(祖国愛)であった……すなわちセンチメンタリズムだ。ダイナミックな方向付けもなく、メシアニズムもなく、実現しようという意志もなかった。

     われわれの存在の条件を、諸時代の苛酷な状況ということでいくら慰めようとしても無駄だ。蛮族の侵入、トルコやハンガリーの占領、ファナリオット(ギリシア人高官)の支配……どれも成功しないだろう。歴史とは説明であって言い訳ではない。われわれの祖先が自由のためにまったく血を流さなかったということは、彼らはわれわれを十分に愛してはいなかったということだ。われわれはちょっとした反乱の国である。しかし自由の本能を持つ民族は、奴隷になるより自殺を好むに違いない。世界のなかへと道を切り開く民族にとっては、全ての手段は正当化されている。テロ・犯罪・蛮行・狡猾さは、ただデカダンスのなかでのみ、下劣や非道徳になるのであり、デカダンスは内容の空虚さをそれらの行為によって埋めようとするのである。しかしもし上昇を助けるのならば、それらの行為は徳になる。全ての勝利は道徳的である。

     ルーマニアの救済は、ルーマニアの潜在性と可能性にある。われわれの過去が支えになるというのは錯覚にすぎない。われわれは過去を捏造するほど卑怯であってはならないのだ。私はルーマニアの歴史を暗い憎しみでもって愛している。

     われわれの過去を悲しみで満たす屈辱、その全てをわれわれのうちの各人が、嵐のような痛ましい情熱でもって生きないのならば、歴史の光輪(アウラ)でルーマニアに栄光を授けることはできない。われわれの過去の惨劇と悲劇に各人が主体的に立ち返らなければ、この民族の未来の変容は失われる。なぜなら、そうなってはこの民族自体がもう終わりだからである。暗闇に、恐怖に、農奴制によって、何百年にも渡って迫害されてきた民族の地下にうごめく存在について考えた後で、安らかに眠ることができる人間がいるというのは、私には理解できない。トランシルヴァニアについて考えるとき、私の前に現れてくるのは、無言の苦しみの、誰にも知られない抑圧の悲劇の、歴史なしの時代の絵画的イメージである。歴史-以下の単調さのなかでの千年、一瞬の途方もない増大としての千年! 何百年経っても変わらない、同じ迫害の光景が私を戦慄させる。ただ一つのモチーフしかない悲劇が私を恐怖させるのだ。他の地方においても、同様に自由が欠けている。ただ歴史的背景のバリエーションが、歴史が動いているという錯覚を与えるだけなのだ。

     悲しみに沈んでいるとき、私はルーマニア民族の昔の時代を辿り悲しみを強めるのが、民族の苦しみのなかで自分を苦しめるのが好きだ。この民族に何百年に渡って投げつけられてきた呪いを、私は愛している。そして影の中であげられた、悲嘆と諦念とうめき声の全てが私をぞっとさせる。

     君が我々の過去を聞くとき、君のなかでルーマニア民族が体験したもの全てが、東方の長い単調な音楽に、憂鬱な沈滞に変容する瞬間を君は感じなかったか。受けた屈辱の全てが、時として毒のように君を焼かなかったか、そして、何百年もの間積み重ねられてきた復讐の欲求の全てが君のなかで爆発しなかったか。
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    プロフィール

    せみ

    Author:せみ
    ルーマニア哲学・思想を勉強しています。
    今年(2013年)もルーマニアに滞在する予定です。ご質問・ご要望等がございましたらお気軽に。

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