スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    第二章 ルーマニアのアダムの状態 その2(41-47頁)

     ルーマニアというものが、苦痛に満ちた強迫観念でないような人間には、ルーマニアの問題はわからない。大きな使命の感覚を認識できるようになるためには、ルーマニアの過去に向けられる明晰で苦いまなざしが、その最終的な帰結に至るまで徹底されなければならない。われわれの運命の再生が、各人の生命の岐路や悲劇の転機でないような者は絶望的である。今までわれわれは、歴史を作ってきたのではなく、歴史がわれわれを作るのを待っていたということ、われわれの存在を超える力が、われわれを活気づかせるのを待っていたということに、狂気に至るまで苦しまない者はナショナリストではない。ルーマニアを小さな文化、つまり自らの軸のまわりで回転するような勇気を持たない文化の範疇と宿命に閉じ込めようとする、運命的限界に煩悶しない者はナショナリストではない。ルーマニアが大きな文化の歴史的使命、すなわち政治的帝国主義、内的メガロマニア、権力への終わりのない意志といった、大きな国民に特徴的なものを持たなかったということ、このことに果てしなく苦しまない者はナショナリストではない。そしてまた、変容的救済を熱狂的に欲しない者もナショナリストではないのだ。

     ルーマニアは素朴に、非問題的に愛されることはできないし、愛されるのは当然であると認めよと要求することもできない。なぜならルーマニアが愛されるべきかどうかは、それほど明白ではないからだ。われわれの虚無と非連続性の意味、われわれの生の形態の変わりやすさの意味、われわれの歴史的様式の非有機的性質の意味を把握しようと努めた者のなかで、存在のルーマニア的形態への軽蔑や、全面的不信、皮肉な懐疑主義を示さなかった者がどれほどいるというのか! しかし、ルーマニアの全ての奇妙なアイロニーとパラドクスを明晰に判断した後で、ルーマニアに光輪(アウラ)の、使命の、運命の可能性を与えるのをなおも拒否しない者、このような人間の躍動(エラン)においては、予言者的憧憬のしるしがあるのだ。

     本能からルーマニアを愛するというのは大したことではないし、誇れるようなものでもない。しかしルーマニアの運命にまったく絶望した後で愛するならば、それは全てのように私には思える。ルーマニアの運命について決して絶望しなかった者は、この問題の複雑さを何も理解しなかったし、この国の運命のなかへと予言者的に身を投じることもないだろう。世界史に光よりはむしろ影を認識する者、呪われた民族、早熟なデカダンス、致命的な失敗、不可避の無名性が存在することを理解している者――この気むずかしい精神にとって、誕生しつつある民族の内的方向を支持することは、それほど無造作にできるものではないのだ。

     自己自身についての意識を持つものの、成熟した後に遅れて自己意識の水準に達した人間と同様に、存在の大半を生物学的に浪費し、その後に自己を発見する民族もまた存在する。ルーマニアは生物学的には成熟した国であり、精神の次元において、素朴な形態で生きることは許されない。精神的には、これまでルーマニアは決して子供ではなかったし、これからもないだろう。

     われわれの歴史への最初の一歩は、精神の成熟の確立と一致しなければならない。ルーマニアは数百年の間、くすぶっていることができた。なぜなら歴史以下の水準の国は、精神の帝国主義的要求を知らないからである。しかし今やもう時間がない。歴史的変容か、それとも無かだ。

     大半の諸文化は自らの幼年期を持ち、精神の黎明期の形態を知っていて、素朴さの点で偉大さに達している。歴史の水準に到達するためには、精神の成熟へと努力するなかで、われわれの実体の全てとともに爆発する以外の道は残されていない。われわれの存在を個性化するもの全てでもって、民族のまだ無使用の予備力でもって、歴史的段階へと至り、われわれの地平のなかに大きな文化の輪郭を見出そう。あるいは、国民(国家)を確立するという意志を見出そう。精神的生において、今まで生きられなかったもの全てが表現され、実現されなければならず、何百年もの間で使われるべきだった全ての予備力が、力への意志のほうに向かなければならない。われわれの使命は果てしない復讐の行為でなければならない。そして創造へと向かう情熱のなかで、われわれの歴史的眠りが罰せられなければならない。

     ルーマニアはロシアと似た状況にある。19世紀に、ロシアは突如として歴史に参入した。知識人の最初の世代が、ロシアの文化様式をはっきりと際立たせた。そして文化的伝統の明白な連続性をロシアが持たないにもかかわらず、その歴史への飛躍は、諸国民の生の方向と目的を規定することができたために、19世紀全体は、ロシアの使命の問題を議論すること以外何もしなかった。メシア的思想は、ロシアの歴史的眠りからの目覚めを表していた。ロシアの生成における論理学の不在こそ、19世紀のロシアの歴史哲学において、非合理的ヴィジョンを決定したモチーフであった。このようなヴィジョンにおいては、歴史はロゴスの内在性なしでも目的を持つことができる。ロシアのメシアニズムは、ヘーゲルから歴史的ヴィジョンのパトスと偉大な記念碑性を受け継いだが、弁証法的理性主義は受け容れなかった。実際、全ての巨大なメシアニズムの特徴は、ダイナミックなヴィジョンと、理性主義的観点を持たない目的論なのである。

     ロシアの奇怪さ(アノマリー)は、比較できないほど減退した次元でだが、われわれのものでもある。しかしわれわれにおいては、ルーマニアの使命という問題、すなわちルーマニアの本質に対する究極的義務の問題は、第一次大戦後、とりわけ近年において、喫緊のものとなった。生きるに値しない使命しか持たない民族には何の意味もない。ルーマニアにメシア的憧憬が存在することは疑いないが、しかしこの使命の内容は、公衆の意識において決定されていない。神話は種子においてのみ存在する。民族が内的拡大の感情を生きるためには、この神話を意識にもたらさなければならないし、この使命の意味を明確に示さなければならない。ただし、この使命において、われわれは、自らの誇りを大きく投影しなければならない。そしてその大きさは、いかなるものも比肩しえないような規模でなければならないし、そのようなヴィジョンが神秘的雰囲気を纏っているほどでなければならない。神秘主義を持たないメシアニズムは空虚で無用なものである。

     ルーマニア人が、最後の一人に至るまで、ルーマニアの条件の特殊性と唯一性を認識したときにのみ、ルーマニアは世界で意味を持つことができる。われわれの政治的生は今までどれほどの神話を生み出してきたというのか? 陳腐か、そうでなければ空虚な抽象があっただけだ。ルーマニアの民主主義は市民意識すら作らなかった。ルーマニアは狂信に至るまでの熱狂を必要としている。狂信的なルーマニアこそ変容したルーマニアである。ルーマニアの熱狂化こそルーマニアの変容である。

     国民の神話は、その国民にとっては、生きている真理である。この真理は、「真理」と一致している必要はない。事実は重要ではないのだ。自己批判を拒絶することこそ、自らの欠陥を通して生命力を増大させることこそ、国民(国家)の自身に対する最高の誠実さである。国民(国家)が真理を求めるであろうか? 国民が求めるのはである。

     ルーマニアの使命は、われわれルーマニア人にとって世界史よりも重要である。たとえルーマニアの過去が歴史なしの時間であったことを、われわれが知っているとしても。

     使命の意識を燃やさない人間は排除されなければならない。予言者的精神なしでは、生は無用な戯れである。ルーマニアが、その内的使命の炎のなかで消尽するときにおいてのみ、ルーマニアは人に悲しみを抱かせる(întristătoare)存在であることをやめるだろう。こう言うのも、ロシアが神聖にして悲しい(tristă)と呼ばれるならば、ルーマニアは、今まで生の不安定さのなかで揺れ動いて来たという理由で、悲しみを抱かせる(întristătoare)という以外言うことはできないだろうから。ルーマニアの悲哀が終わるのは、ルーマニアの厳粛な刻限(ceasul solemn)*1が到来するときのみだ。しかし国民の「厳粛な刻限」とは何を意味するのであろうか?

     国民が、自らの存在の方向と流れを変化させるということへの意識を持つとき、そして変化という岐路において、国民が、歴史の大きなリズムの中に自らを結びつけるという意味で、潜在性の全てを現実化するということを理解するとき、国民は本質的瞬間あるいはその絶頂に近づくのである。

     もしルーマニアがこの厳粛な刻限を目指さないのならば、もしこの国が、屈辱の過去と妥協の現在において起こったこと全てに対する復讐を、運命を実現し決定するという意志のもとで行わないのならば、全ては終わりである。影の中で生き、影の中で死ぬだろう! しかしもし、いわばその地下の力、存在することが疑いえない力が、まったく違うルーマニアを生み出すとしたらどうだろう? まったく違った内実を持ち、まったく違った輪郭を持つルーマニアを? もしそうならば、過去においてわれわれの幻想の透明さのなかでさえもわれわれには明らかにならなかった運命、その運命の輝きを期待するのも当然ではないだろうか?

     ルーマニアの生命力は、必ずやその表現を見つけ出すに違いない。なぜならわれわれは、真の変容を爆発の中で体験しないわけがないほどまでに、過去と現在において自己自身を卑しめてきたのだから。ルーマニアについて語るとき、われわれはつねにペシミストだった。しかし、われわれの歴史と運命の取り返しのつかないものを克服することができるほどには、生は十分に非合理的であると私は思う。ルーマニアの変容の可能性が幻想であると私がもし確信するならば、そのときから、私にとってルーマニアの問題は存在しないだろう。われわれの政治的・精神的使命は、変容への張りつめられた意志に、われわれの生の様式全体の変容への、劇的で憤った感情に帰着する。歴史は飛躍しない、という古来の知恵がもし正しいとしたら、われわれは全員即刻自殺しなければならない。予言者的本能、熱気、情熱は全ての者から学ぶことができるが、賢者からのみ不可能なのだ。われわれの存在は、飛躍による以外には、決定的で本質的な飛躍による以外には、意味を与えられることはできないのである。

     変容への強い意志はわれわれのもとには決して存在しなかったし、われわれの運命と条件に関する不満は、懐疑的態度のような形態を越えることはなかった。懐疑主義は、変容の過程の階梯における最初の段階であり、それはわれわれの運命についての意識をうながす最初の契機である。懐疑主義によってわれわれは、自分自身の外に出ることができる。それはわれわれの力を測定し、位置を定めるためである。われわれの皮相さは、この最初の形態を越えることができなかったということに、自らを自らの惰性の傍観者として定めたことに、アイロニカルに断末魔を楽しんだということに由来する。ルーマニア人は自らの与えられた状況を嘲笑し、容易で不毛な自己アイロニーの中で自らを消し去る。われわれの運命の状態において、ドラマティックなものの不在はつねに私を激昂させ、はなはだしい無関心、外面的なまなざしは私を苦しめた。もしわれわれルーマニア人全員が一斉に、自らの悲惨の強烈さに苦しむのなら、そして世界におけるわれわれの無意味さに、徹底的に絶望するのなら、絶頂でのみ起こる大きな精神的(道徳的)改宗によって、われわれが歴史の入口を通り抜けることもできるかもしれない。できないと誰が知っていると言うのか? ルーマニア人が今までポジティヴにも、創造者にもならなかった理由は、自己超越と自己否定のプロセスにおいて最初の段階しか登らなかった、ということにある。生が炎に、われわれの躍動(エラン)が無限の振動に、われわれの全ての廃墟が単なる思い出になるまでに、われわれの情熱が、発狂的なほどまでに激化される必要がある。われわれは全員、現実を厳粛に考えなければならないだろう。その現実とは、ルーマニアは予言者なき国であること、すなわち存在としての、生きた直接的現実としての未来を誰も生きなかった国、誰も使命の強迫観念に震えない国であるということだ。そしてまた、この厳粛な思考の中で、別様に存在することを誓わなければならないし、盲目の狂信の中で燃え上がらなければならないし、異なるヴィジョンの中で発奮し、異なるルーマニアという考えがわれわれの唯一の思考でなければならないだろう。われわれの歴史の系列の結果を継続することは、緩慢な自殺によって破滅するというのと何も変わらない。私は政治的形態の変化だけについて語っているのではなく、われわれの生の土台の変容についても語っているのだ。われわれの明晰性を放棄するべきである。その明晰性こそわれわれに不可能性を見せつけ、われわれを光から遠ざけるのだから。われわれは盲人のように光を征服しなければならない。

    *1 おそらくリルケの詩「厳粛な刻限」(Ernste Stunde)を念頭に置いていると思われる。
    スポンサーサイト

    コメントの投稿

    非公開コメント

    プロフィール

    せみ

    Author:せみ
    ルーマニア哲学・思想を勉強しています。
    今年(2013年)もルーマニアに滞在する予定です。ご質問・ご要望等がございましたらお気軽に。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。