スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    シオランによる黙示録(ガブリエル・リーチェアヌとの対談) その5(終)

    リーチェアヌとの対談の続きです。これで最後となります。
    今回の分には法政大学出版局『シオラン対談集』に抜粋のかたちで収録されていた部分も含まれています。この部分をどうするか迷いましたが、前後のつながりの関係上、翻訳することにしました。邦訳のほうも参照させていただきました。


    以前の翻訳はこちらです。


    その1

    その2

    その3

    その4


    ***


    リーチェアヌ(Liiceanu):いつあなたはフランス文学界に浸透したのですか。戦時中でさえ文学カフェやサロンに通いつめていたのは存じ上げていますが……。

    シオラン(Cioran):ご存じのとおり、文化のシーンを支配していたのはサルトルでした。彼には一人の神とみなされるほど巨大な名声があって、彼の政治的意見がどれほど間違っているかが白日の下となったときでさえも、そうでした。戦争の最後の年、冬の間中ずっと、サルトルのそばで過ごしたことを思い出します……。とても寒かったので、私はサン=ジェルマン=デ=プレに行って、一日中カフェで過ごしていました。それで何の因果かわかりませんが、ほとんど毎日私はサルトルのとなりに居合わせたのですね。でも一言も交わそうという気にはなりませんでした。

    L:しかし、あなたはカミュと会話を交わされましたよね。

    C:彼とは一回だけ会いました。あまりよくない出会いでしたね。私は彼の本を読んでいたし、彼にはちょっとした尊敬の念を抱いていたんです。なにより彼は誠実な人間だと思っていました。それ以外では彼は凡庸で、二流だと考えていました。彼はガリマールから渡された『崩壊概論』の原稿を読み、私にこう言ったんです。「今やあなたも思想の領域に入るべきですよ」――くそくらえだ!彼は自分の教師としての教養でもって私にレッスンを与えようとしたんです。彼は何人かの作家は読んでいたけれど哲学的教養の欠片も持っていなかった、なのに私に「今や…」と言うわけですよ。生徒に教えるようにね。私は出て行きました。彼の言葉は私にとってまったく屈辱的でした。私を地方から出てきた新入生のように扱ったんですからね。そして高圧的に「今や…」と言う。私は偉大な哲学者たちを読んでいたのに。そのとき私は復讐を決意しました。

    L:あなたは復讐なさったのですか。何をなされたのでしょうか。

    C:復讐しました。しかしそれは直接的ではなかった。実際私は特別なことは何もしなかったのです。私は書きました。当初、私はカミュの追随者とみなされ、彼としばしば比較されました。彼はとても有名で、20万部もの売り上げがありました……。けっこう、でも数年後に、私は自分をカミュとはまったく異なった存在だと認識させることに成功しました。これはカミュの名声を考えると決して簡単なことではなかった。
     これは申し上げておきたいのですが、私にとって喜ばしいことがあるとすれば、それは私は誰の意見も考慮しなかったということです。これがすべての作家たちに言っておきたい助言ですね。自分を信じない者、自分が作るものに対してある種の神秘的信仰を持っていない者は、作品にとりかかるべきではありません。何者も信じてはならない、ただ自分だけを信じるべきです。それ以外のことは必要ない。誰かに助言を求めてはならない、誰にも相談するべきではない――細部については別ですがね。「私は何をすればいいのでしょう……、何をすれば……」、こんなものは何の意味もありませんよ。作家にとって、自らの人生と作品は自分自身が引き受けるべき冒険です。膨大な人々が私に原稿を送りつけてきます。でも、こんなことをするべきではないんです。信じるか、信じないかですよ。もし信じないのなら、それでおしまいです。早く止めたほうがいいでしょう。


    (訳注:以下は法政大学出版局『シオラン対談集』に抜粋のかたちで収録されています)


    L:サルトルとは知り合う気にならなかったし、カミュとの出会いは失敗だったと仰っていましたね。では仲良くなった有名な作家はだれだったのでしょうか。

    C:有名な作家に知り合いはいませんでした。

    L:しかしベケットやミショーはどうなのですか。

    C:そうですね、彼らは友人でした。

    L:どういう経緯でベケットと知り合ったのですか。偶然からですか、それともお互いを賞賛し合っていたからですか。

    C:ええ、彼は私のものを読んでいました。われわれはある夜会で知り合い、その後友人になりました。ある時期には彼は私に金銭的援助をしてくれました。ご存じでしょうが、ベケットをこういう人間であると定義するのは難しい。多くの人々、とくにフランス人は彼のことを誤解しています。あらゆる人が彼の前では才気があるところを見せなければと思っている。でも彼はきわめて単純な人間で、逆説が披露されるのを期待してなどいないんです。気取らないで、ざっくばらんに振る舞えばいいんですよ。私がベケットの何が非常に気に入っているかと言うと、彼は25年もフランスにいるのに、昨日パリに来た人間のように見えるところです。彼にはパリジャンらしいところがまったくない。良い意味でも悪い意味でもフランス人に影響されていません。彼は月からやって来たんじゃないかと思わせるものがありますね。彼は自分では少しフランス化されたと考えているようですが、実際はそうじゃない。この影響されていないというのは驚くべきことです。彼は骨の髄までアングロサクソン、まさしく典型的なイギリス人のままで、これは私にとってものすごいことだと思えました。彼はサロンに行かず、社交が嫌いで、「会話」なんていうものは持ちあわせていません。彼が好きなのは一対一で話すことで、そのときの彼は信じられないくらい魅力的でした。私は彼が本当に好きでしたね。

    L:ではミショーは?

    C:ミショーはまた違った人間で、あけっぴろげできわめて率直です。私と彼はとても仲が良かった。彼は私に自分の相続人になってほしいと言ってきたけれど、私は断りました。彼は実に才気があって、エスプリに溢れていて……そして意地悪だった。

    L:そこが気に入っていたのではないですか。

    C:そう、そう、そこが気に入っていましたね。彼に処刑されなかった人はいませんでしたね。おそらく彼は、私が知り合ったなかでもっとも知的な作家です。でも奇妙なのは、あれだけ知的な人間でも、ナイーブな傾向を持っているということですね。例えば彼は、ドラッグとかそういうものについてほとんど科学的な本を数冊書くことに熱中していました。馬鹿げてますよ。私は彼に言いました。「君は作家で詩人なんだから、科学的な本を書かなくてもいいじゃないか。誰も読まないよ」。彼は止めようとはしなかった。彼はそういった本を書き続けたけど、誰も読んでいません。まったく馬鹿げたことでしたね。彼にはある種の科学的偏見がありました。私は言いました。「世間は君から理論じゃなく、経験を期待しているんだよ」。

    L:まさに世間の人が作家に期待していることについてお訊きします。それはルーマニアの、そしておそらく全世界のあなたの読者がもっとも関心を持っていること、つまりあなたと神の出会いという問題です。父親が司祭であり、母親が司祭の娘にしてシビウの婦人正教会の会長だったというほど宗教的な家から、涜神的な趣きを持つ抗議の人が出てきたということを、どのように説明されますか。あなたは若い頃、『涙と聖者』のなかで書かれているところによると、聖女に口づけすることを夢見、売春婦の腕のなかで神のことを思い浮かべたとのことですが……。あなたの涜神的な側面に憤っている人に対してどのように返答されますか。

    C:それはとてもデリケートな問題です。というのも、私は信じようと試みたし、作家としてもその内容によっても賞賛している偉大な神秘家をたくさん読んできました。ある時私は、自分は信仰するようにはならないということ、それは幻想であるということに気付きました。それは運命です。私は自分の意に反して救済されることができなかった。単純にうまくいかなかったんです。

    L:そのとき、なぜこの領域から離れず、この問題に囚われたままでいたのですか。どうしてあなたは否定し続け、神と格闘し続けたのですか。

    C:それは、私が信仰することの無力という危機に見舞われ続けたからです。私は信仰しようとするたびに、この試みは失敗に終わりました。もっとも深刻だったのはブラショフにいたころ、『涙と聖者』を書いていたときです。私がこの中傷に溢れた本を、宗教の歴史、神秘主義の本やその他もろもろ、膨大な読書のあとに書き上げました。本はブカレストで出版されるはずだったのですが、ある日出版社から電話がかかってきて、こう言うんです。「あなたのご本は出版されません」。―「どうして出版されないんです。もう校正も済ませたのに」。―「私は本を読んでいません。けど植字工にある段落を見せられたんです。申し訳ないが、私は神のご加護でここまでやって来られたんです。ご本は出版できません」。「いいですか、これは深く宗教的な本なんですよ。どうしても出版できないんですか」。―「どうしてもです」。おそらく、ルーマニア以外ではこんなことはありえないでしょうね。私はとても悲しかった。もうすぐにフランスへ出発しなければならなかったものですから……。

    L:本当に深く宗教的な本だったのですか?

    C:ある意味ではそうです。否定を通して、ではありますけどね。その後私はブカレストに行きました。私はとても落ち込んだまま、今でも思い出せますが、カフェ・コルソに入りました。そのとき、昔ロシアで植字工をしていたという、比較的仲が良かった人物に会いました。私が落ち込んでいるのを見て、「どうしたんだい」と言ってきたので、彼に説明すると、彼はこう言いました。「いいだろう、俺は印刷所を持っているんだ。本を出してやるよ。ゲラを持って来な」。私はタクシーを拾って全部持って来ました。本は私がフランスにいる間に出たのですが、ほとんど出回りませんでした。パリで私は母から手紙を受け取りました。「私たちがあなたの本を読んでどんなに悲しんでいるか、あなたにはわからないでしょう。あなたは本を書いているとき、自分の父のことを考えるべきだったのです」。私は返事のなかで、これはバルカンで書かれた唯一の神秘的な本だ、と書きましたが、両親を含め、だれ一人納得させることができなかった。ある婦人が、街の婦人正教会の会長である母に、「神様についてこんなことを書いている息子がいるのだから、あなたは私たちに説教する資格なんてありませんよ」と言ったそうです。

    L:友人や書評の反応はどのようなものでしたか。アルシャヴィール・アクテリアンが『ヴレメア』紙に厳しい書評を書いたことは存じ上げていますが。

    C:もっとも厳しかったのはエリアーデのものでした。でも当時私は知らなかった。その記事を読んだのはやっとこの年になってからなんですよ。どの雑誌に載ったのか知らなかったのです。私が読んだのはパリで刊行された本のなかにあったテクストです。ひどく暴力的でしたね。このような本の後で友人であり続けるられるかどうか、と彼は自問しているんですよ。同じようにひどく憤慨した手紙を貰いました。

    L:あなたの苦闘を理解し、この本を見事なものだと考えた唯一の人は、アルシャヴィール・アクテリアンの妹さん、ジェニー・アクテリアンでしたね。

    C:その通りです。彼女は私にとても素晴らしい手紙を送ってきてくれました。われわれはお互いをとてもよく理解し会っていましたよ。すべての友人のなかで、彼女はただひとり、本当にただひとりの、そんな反応をしてくれた人でした。他からは反感しか受けませんでした。それで私は、以前のこういったことを憶えていたので、『涙と聖者』がフランス語に訳されたとき、傲慢な箇所をすべて削除するという、馬鹿なことをしてしまったんですよ。そのせいで私はこの本を破壊してしまったのです。

    L:『涙と聖者』であなたの信仰への努力は失敗に終わりましたが、しかし誘惑は残り続けました。なぜでしょうか。

    C:その誘惑はずっと残りました。でも私はあまりにも懐疑主義に毒されていたんですよ。思想的にも、気質の面でもね。どうしようもない。誘惑は存在し続けましたが、誘惑だけ。私のなかにはずっと宗教的な呼びかけがありましたが、実のところそれは神秘主義的なものであって、宗教的なものではなかった。私には信仰は不可能だった。でも同時に信仰について考えないことも不可能だったのです。私のなかにはずっと信仰への深い誘惑が存在し続けましたが、否定のほうがそのどれよりも強かった。私は拒絶することで、ある種の否定的で倒錯した喜びを覚えましたよ。私はずっと信仰の必要性と信じることの不可能性との間で揺れ動いてきました。そのおかげで、私はあれほど宗教的人物、とりわけこの誘惑を究極にまで突き詰めた人たち、つまり聖者たちに関心を抱いたのです。私は諦めなければならなかった、なぜなら私は信じることができるようには作られていなかったからです。肯定よりも否定のほうがつねに強いというのが私の気質でした。私の悪魔的な面と言ってもいいでしょうね。だから私は何かを深く信じることはできなかったのですよ。信じようとは思いましたよ。でも無理だった。しかし……。
     さきほどエリアーデの『涙と聖者』を読んだ後の反応についてお話ししましたね。私はその記事を読んだことはずっとなかったけれども、でも憤慨した論調だろうなとはわかっていました。それでも、宗教的にいって、私はエリアーデよりもはるかに先を行っていると思うのをやめたことは一度もありません。ずっとそう思ってきましたよ。なぜなら彼にとって宗教とはひとつの対象であって、言うなれば、神との闘いではないからです。私の考えでは、エリアーデは宗教的な人間ではなかった。もしそうなら、あらゆる神について調べるというようなことはしなかったでしょう。宗教的感覚を持っている者は、神々の数を数えたり、その目録を作ったりはしませんよ。祈る学者なんて想像もできませんよ。私にとっては、宗教史はつねに宗教の否定です。これは私の確信です。

    L:今も宗教的な領域で対話を続けていらっしゃるのですか。

    C:今では少なくなりました。

    L:どのような結果に終わったと振り返られますか。さきほど話題になった、あなたの若い頃の友人であるペートレ・ツツェアによれば、あなたは今では絶対者と聖パウロと和解されたとのことですが。

    C:それは違います。聖パウロを私は力の限り攻撃し告発してきたし、今になって彼についての考えを変えたとは思っていません。私が譲歩するとしたら、それはツツェアのためですね。私がパウロのなかで嫌っているのは、彼の政治的性格です。この性格はキリスト教に深く刻み込まれ、キリスト教を神秘主義的現象でなく、歴史的現象に変容させてしまいました。私はこれまでずっと彼を攻撃してきたし、これからも変わらないでしょう。むしろもっと有効に攻撃できなかったかと後悔してるんですよ。

    L:しかし、司祭の家に生まれたあなたのなかに、そのような頑なな信念がどうやって生まれたのでしょう。

    C:それはプライドの問題だったと思います。

    L:プライド?お父上との関係に関連しているのですか。

    C:いえ……もちろん、父が司祭であることを快く思っていなかったことは確かですがね。プライドの問題というのは、神を信じるということは、自ら膝を屈することを意味すると私には思われたのです。ここにはひどく悪魔的な面がありますね、わかってはいますが……。

    L:ですが、いつあなたは自分にそのような面があることを自覚し、今話されたようなことを話すようになったのですか。

    C:神秘主義の問題に関心を抱くようになってからすぐです。これはナエ・イオネスクの影響もあったと思いますね。彼は神秘主義について講義をしていましたから。そのとき私は、自分が惹かれているのが神秘主義であって宗教ではないと気付きました。宗教の過剰な側面、宗教の奇怪な側面としての神秘主義です。宗教にはそれ自体としては決して興味を覚えなかったし、同時に自分が宗教のほうに向かうことも出来ないというのも知っていました。私の場合、挫折は保証されていたんですよ。その代わり、私は弟をこの道から引き戻したことをひどく後悔しています。修道院に行かせてやるほうが、7年間刑務所で過ごすよりもよほどよかった*1。私が何について話しているかお分かりですか。

    L:ある程度は。レル*2が教えてくれました……。

    C:それはシャンタという、パルティニシュに近い、山の頂上で起こりました。叔父の一人がそこに家を持っていたんです。家族全員が集まっているなかで、レルが修道士になりたいと言い出しました。母は少し狼狽していましたね。家族全員で夕食を食べたあと、私とレルだけで森のなかに歩きに行きました。朝の6時まで話し合いましたが、私はその計画を放棄しなければならないと彼に示そうとしたのです。私はシニックな議論、哲学的、倫理的議論など、自分が持っているものすべて引きだして、とほうもない反宗教的理論をでっちあげました。本当に美しい夜でしたよ。朝の6時まで話し合ったのです。宗教に反する、信仰に反すると思われたものすべてを、あの愚かなニーチェ主義のすべてを――お分かりになるでしょう――宗教という幻想に反するものすべてを並べて立てました。そして私はこう言って締めくくりました。「僕の話のあとでも修道士になる気を変えないなら、もうお前とは金輪際口を利かない」。

    L:しかし、どうしてそこまで頑なに攻撃されたのですか。

    C:プライドの問題だったんですよ。神秘主義に精通し、「理解」していた私が、説得できないことなどあるものか、という具合にね。「もし僕の話を聞いてもお前が考えを変えないなら、僕たちの間に共通のものは何もないということだ」と言いましたよ。結局のところ、あの時に私の不純なものすべてが表に現れましたね。

    L:本当に悪魔のような人だったのですね。弟さんをそんな風に強制する権利があったのですか。

    C:いいえ、もちろんありはしませんよ。そんなことに意味はない、と言うことにとどめることもできたでしょうが……。でも私が弟を説得しようとした執拗さは本当に悪魔的でしたね。あの素晴らしい夜に、私は今ここに現れているのは、自分と神との間の闘いだという気がしました。もちろん私は弟に言いましたよ、ルーマニアで修道士なんて紛い物でしかない、修道生活は実際には存在しない、ただのペテンでしかない……などとね。しかし私の話は基本的に哲学的で、真剣なものでした。後になって、あの時私のしたことがひどく残酷なものに思えて来ましてね。私の弟の悲劇的な運命は自分に責任があると感じました。あんなことが起こるよりも、修道院に行っていたほうがよほどよかった。

    L:残酷、と仰いました。実際、誠実さの残酷さという問題があなたのなかに存在します。あなたはあまりにも誠実すぎるのです。いったいどれほどの人が、他人にショックを与えるほどの誠実さを持つことが出来るのでしょうか。あなたのような誠実さを世間の人みなが持つようになったら、どうなってしまうのでしょう。

    C:正確に言うのは難しいですが、社会は崩壊するでしょうね。おそらくデカダンスのうちにいる社会は、過剰なまでの誠実さを実践していると思いますよ。

    L:ですがあなたはどうして、みなが知っていること、恥ずかしくて表現するのを拒むことを言おうとなさるのですか。王様が裸であることはみんな知っています。われわれ人間が死ぬということ、恐怖、病、道徳的悲惨が存在するということなどを知らない人などいません。しかしなぜあなたは否定的で、不気味な強迫観念を、誠実さのはけ口として開陳されるのですか。

    C:それは不気味ではなく、日常性そのものです。それに、大事なのはどのように言い、どこを強調するかです。生の悲劇的側面は、その喜劇的側面に特に注意しようとすれば、同時に喜劇的でもあります。酔っぱらいをごらんなさい、彼らはまったく誠実です。彼らはまさにこの問題にコメントしているんですよ。私は生に対して酒の入ってない酔っぱらいとして反応しているんです。私を救ったもの、それは俗な言い方をすれば、生への渇きでした。この渇きのゆえに私は生き長らえ、憂鬱を克服することができたんです……

    L:倦怠ですね。

    C:そう、倦怠です。倦怠は私の人生のなかでもっとも馴染み深い経験です。私の病的な側面ですね。倦怠はずっと私につきまとってきて、ほとんどロマン主義的な経験でした。私は旅行をたくさんして、ヨーロッパ中を周りましたけれども、どこに行っても私は最初は非常に情熱をかき立てられるのですが、次の日にはもう退屈するのです。どこに行っても最初はここに住みたいものだと思うんですよ。それが翌日になると……。この私のなかの病が私につきまとって離れませんでした。


    (訳注:以上が『シオラン対談集』収録分です。)


    L:ええ、しかし反対に、あなたは情熱や生の肯定的な面もご存じですし、時折何かを信じようとなさったこともありますよね。あなたが恋に落ちたとき、ノイカに向けて葉書に次ぎのように書いていらっしゃいます。「寝室のなかの栄光は帝国の栄光に打ち勝つ」。

    C:もちろん愛は必要不可欠な経験です。自分が愛を経験したとき、私は大いに驚嘆したものです。しかし愛は何の解決にもならないのです。

    L:実のところ私はあなたに申し上げたいのです。生は、その肯定的面にも否定的面にも等しく論拠を提供するゆえに、初めからこうだと決めつける肯定・否定どちらの選択も、必要でもないし、根拠のあるものでもないのだ、と。

    C:こう申し上げましょうかね。私が物心ついたとき、すでに否定が根付いていたのだと。

    L:しかしあなたを言動不一致であると非難することもできるでしょう。あなたは生をひどく告発するのに、ご自身の健康には過剰なまでに気を配っており、またあなたは自殺をたえず称賛するのに、ずっと生き続けていると。

    C:私は自殺するべきだとは一度も言ったことはありませんよ。私が言ったのは、自殺の観念こそが唯一、この生を耐えていくための確実な方法だということです。自分の人生を握っているのは自分なのだという考え、したければいつでも自殺できるという観念が、人を大いに助けるのです。少なくとも私は助けられましたし、自分は自殺するつもりだと言ってきたあらゆる人にも当てはまります。ご存じでしょうが、パリでは自殺の試みは日常茶飯事ですからね。思い出しますが、何年か前に、エンジニアだという比較的若い男が私のところにやってきました。彼は自殺について書いた私の文章を読み、自殺したいと言ってきたのです。われわれは三時間リュクサンブール公園の周りを歩きました。そして私は彼に、自殺は、自殺の「観念」はポジティブな観念だ、なぜならそれは生を耐えられるものにするから、と言いました。

    L:最後の避難所という意識を与えるわけですね。

    C:自分はただの犠牲者ではない、自分で自分を自由にできるのだ、自分の人生を支配しているのは自分なのだ、と思うようになるんですよ。だから私は彼に言いました。「君は26歳で、かなり稼いでいるし、そのうえ有能な人間だ。まだ耐えるだけの時間は残っているよ。耐えられるだけ耐えてみたらどうかね。もう自殺の観念も自分を助けてくれないと思ったら、そのときに自殺すればいい!」。三年後再会したとき彼はこう言いました。「あなたの助言に従ってみたんです。するとほら、まだ生きているんですよ」―「けっこう、続けることだね!」。
     お分かりになりますかね。こういう理屈なんです。私は誰かを自殺するようそそのかしたことはない。一度だけひどく馬鹿なことをしたことがあります。もっとも、お話する価値があるかどうかわかりませんが……。それは戦争中のことで、私はあるとても金持ちで美しい女性と知り合いました。あるとき私は彼女に自殺についての考えを披露しました。生きる意味なんてない……等々ね。すると彼女が言うんです。「私といっしょに来てくれませんか。自殺したいと言っている友達がいるんです。彼女と話をしてくれないかと思って……」。女性を喜ばせたいと思って――実のところ好意を持っていたもんですから――私は承諾して、その自殺したいと言っている友達の女性のところに行きました。私は言いました。あなたが自殺したいと思っているのはとてもいい、それは素晴らしい解決策だ、これ以上のものはない、実際生きる意味なんて欠片もないんだし……等々。その後まったく面白いことが起こりましてね。問題の、自殺したいと言っている女性が、友達のほうに向いてこう言うんです。「この男の人は誰?私に自殺をそそのかして……あなたは私の友達なのにこんな人を連れてきて……もういい、私は自殺しない!それにあなたとはもう友達じゃない!」。
    まあ、これはとても複雑な話で、錯覚の上に成り立ってはいます。しかし、自殺の観念なしで生きることはできないという私の考えは本当に正しいと思っています。ウェルテルを除けば、この考えを持ちながら自殺した人は誰もいません。もう一つお話ししましょう。頻繁に私に会いに来る知人がいましてね。彼は郵便局に勤めていて、かなり高い地位に就いているのですが、ほとんど狂人なんです。自殺の強迫観念があって、私に会いに来るんですが、ある日私にこう言うんです。「一昨日、自殺しようとしたんだけど、足が汚れているのに気付いたんだ」。「それがどうかしたのかい」と私は答えました。「わかるだろ。足が汚いままでは自殺できないよ」「でも自殺しようって時に、足が汚いかどうかなんてどうでもいいんじゃない?」「いいや、絶対に足が汚いままで自殺するもんか」。この後も長い議論が続いたというわけ……。彼は結局自殺しました。そのときの足が汚かったのかどうかはわからないけれど、でも私は凄いことだと思いますよ。彼は自殺する理由を山ほど持っていたんです。彼が自分の人生について私に語ってくれたところによるとね。でも彼はずっとこう言っていたんです。「今こそその時だと思ったんだ……でも自分の足を見ると……」。グロテスクな、あるいは喜劇的な物事が自殺の観念と結びつくこともできるんですね。

    L:シオランさん、あなたは人生を通して死というテーマについて書かれてきました。このことは死と出会うにあたって、あなたを楽にさせましたか。

    C:私にとって、死の強迫観念は死の恐怖と何の関係もありませんでした。死が私を惹きつけたのは、ある狂気の物語の結末という限りでのことです。私が言いたいのは、死の強迫観念は正当なものであり、沢山ある問題のなかの一つではなく、まさしく「問題」、問題そのものだということです。理由を挙げましょう。第一に、死は解決したり等級付けしたりできる問題ではない。第二に、死は他の問題と同じ位置にはなく、他のあらゆる問題を破壊する問題です。「さあ、死について考えてみよう。その後他の問題について考えよう」などと言うことは不可能ですよ。死については、たえず考えるか、あるいはまったく考えないか、この二つしかありえません。

    L:人生を通してずっと死について書き続けてきた人は、他の人よりも死に対して準備できていると思われますか。

    C:いいえ、まったくそうは思いませんね。なぜなら、死は解決不可能な問題であり、各人は死に対して各人に出来るかぎりの反応しか示さないからです。死ぬという事実は、死が生の観点からは利益として現れるということを鑑みるならば、二次的なものになります。非常に重要なのは、死の観念はあらゆる態度を正当化するということです。死はどこにでも引き合いに出せるし、どんなことにでも役に立ちます。死は有効性と無効性両方を正当化します。次のように言うことができるでしょう。「ねえ、どうしてこんなことをする必要があるんですか。どうして苦労しなきゃいけないんですか。どうせ死んでしまうのに……」。あるいは反対にこうも言えます。「いずれ私は死ぬのだから、私に残された時間は限られているのだから、私は急いでこれをやらなければいけない……」。まさしく解決がない問題であるがゆえに、死はいかなる態度をも正当化し、生の重要な局面において、あなたを助けてくれるんですよ。先ほどお話しした、2年間朝から晩まで飲んでいたラシナリの酔っぱらい、彼も死について語っており、そして彼は「彼の流儀で」正しかったのです。死はすべてを正当化する終わりのない問題です。

    L:それでは、あなたも自分の名において何かを正当化なされたのでしょうか。

    C:申し上げましたでしょう、自由ですよ。義務を持たないこと、責任を持たないこと、やりたいことだけをやること、計画を持たないこと、自分に関心のあることだけを書くこと。これ以外に人生で目的を持たないこと。

    L:それがあなたが同意し成功した唯一のものなのですか。あなたは望んだことを達成されたのでしょうか。

    C:十分です。悪くはないですよ!

    L:ラシナリをもう一度見たいとは思われないのですか。あなたがあそこに帰る日は来るのでしょうか。

    C:わかりません、お答えすることはできませんね。私の人生のなかであまりにも重要過ぎた場所、そんな場所をもう一度見るのが怖いのです。私はあの村で幸せ過ぎました。私は楽園に帰るのが怖いのです。



    *1シオランの弟アウレル・シオラン(Aurel Cioran)は弁護士となった後、ルーマニア・ファシスト組織「鉄衛団」に関わり、第二次大戦後懲役7年の刑を受けた。
    *2 レル(Relu)はアウレル(Aurel)の愛称形。


    ***



    これでこの対談の翻訳は終了となります。思いがけず2年とちょっとかかってしまいましたが、お付き合いいただいて大変ありがとうございました。

    以下は余談です。

    底本は以下のものになります。

    Gabriel Liiceanu, Itinerariile unei vieți: E.M.Cioran, Bucharest, Humanitas, 2011.

    原著はもともと1995年に出版されたのですが、2011年のこの版は写真などが豊富で装丁も美麗なものになっています。
    またこの対談は映像として記録もされましたので、対談の模様はYoutubeなどで視聴も可能です。

    今後ですが、上記の本に収録されているシオランの伴侶であるシモーヌ・ブエさんとリーチェアヌとの対談を翻訳しようかと思っています。そちらのほうもご覧いただけると幸いです。
    スポンサーサイト

    コメントの投稿

    非公開コメント

    プロフィール

    せみ

    Author:せみ
    ルーマニア哲学・思想を勉強しています。
    今年(2013年)もルーマニアに滞在する予定です。ご質問・ご要望等がございましたらお気軽に。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。