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    シオランによる黙示録(ガブリエル・リーチェアヌとの対談) その1

    試みにシオランとガブリエル・リーチェアヌとの対談を訳してみました。拙いところはご勘弁下さい。




    ガブリエル・リーチェアヌ(Gabriel Liiceanu):あなたはいくつかの「賞賛訓練」(Exercices d'admiration 邦訳『オマージュの試み』)を書かれましたが、運命の問題はあなたをいつも魅了してきました。完成か挫折かという個人の運命、そして栄光とデカダンスという民族の運命の両方がです。しかしあなたはいつも他人の運命について語ってこられました。もう80歳になろうというところで、あなた自身の運命については、どのようなまなざしを向けられますか。

    E.M.シオラン(E.M.Cioran):私は自分が望んだ運命を持ったと言いたいですね。自由であるということ、独立しているということが私の脳裏から離れませんでした。それで私はそれを獲得したわけです。でも、もう今となっては私の運命は終わったと考えています。一年前、おそらくもっと前から、私はもう書くまいと決めました。

    L:それは初めてのことではありませんね。この10年か20年の間、あなたはそのような決心をずっと取り続けてきたように思います。

    C:今回は真面目ですよ。

    L:あなたの本が出る度に、今回が最後の本だと言ってこられましたが、その度にまた次の本が続いて出されました。

    C:それはそうだった。でも今度のは本当です。もう書かないというこの決心には、言ってみれば、ほとんど生理学的な理由があるんですよ。私には何かが変わってしまったという感じがあります。

    L:どういう意味でしょうか?

    C:何かが衰えた、そう……私の中で壊れたんです。一般的に言って、作家というものは死ぬまで書き続けます。特にフランスではね。そんなのは何の意味もありませんよ。本の数を増やして何になるんです? 私の考えでは、全ての作家たちは書き過ぎですね。

    L:それはあなたの場合にもあてはまりますか?

    C:ええ、その通り。でも大作家たちはまったく書き過ぎました。シェイクスピアもやり過ぎですね。私について言うと……ただ単に、宇宙に唾するのはもう十分ということです。私はもうしたくない。

    L:しかし、あなたは無用性と死のテーマについての、15冊以上の本をお持ちですね。

    C:それはオブセッションの問題ですよ。私の作品は――この言葉には吐き気がする――医学的、治療的な理由から生まれました。私が同じオブセッションの他は書かれていない同じような本を書いたのは、それが私をいわば自由にする、ということを確認するためです。まさしく私は必要があって書いたのです。文学とか哲学その他は私にとってはきっかけに過ぎない。書くことのセラピーのような効能、本質的なのはそれです。

    L:すると今ではあなたは治られたわけですね?

    C:いえ、治っていません、治ったのではなく、ただ単に疲れただけで。

    L:ですが、無用性や無意味を弁護した作品が、どうやって助けてくれるのですか。

    C:表現する手段を持たなかった他の人たちが感じていることを述べるからです。読者を自分が感じていたことについて突然意識させることによって、助けるのです。要するに、自己を取り戻すというように、助けるのです。

    L:しかし絶望に集中することは、それをより深めてしまうのではないのですか。

    C:既に表明してしまったこと全ては、より受け入れやすいものになります。表現、それは薬ですよ。司祭に告白しに行くことに何の意味があると思いますか? それはわれわれを自由にするんです。表明されてしまうことで、その強さは減らされることになります。それこそが治療的であるという理由であり、書くことによって治療する意義です。もし私が書いていなかったならば、私はもっと憂鬱の状態にあったろうし、その場合疑いなく憂鬱は私を狂気にし、私がやることを全て失敗に導いていったことでしょうね。既に表明したという事実が特別な効果を現すのだ、と言わなければなりません。私が書かなかったならば、まず間違いなく病気になってしまったでしょうね。そんな風に私は5冊くらいの本をルーマニア語で、そして……8冊か9冊の本をフランス語で書いたわけです。

    L:では、今は?

    C:今は…もう終わりましたよ! もう沢山だ! 私は書くのをやめた、というのは私の中に何か減退を感じたからです。激しさの低下です。大事なことは、気持ちの高ぶり、感動の強さです。ところで消えてしまったものというのはそれなんですよ。私は私の中に、一種の疲れを、表現に対する嫌悪を見出し始めました。私はもう言葉を信じてはいない。パリの文学的スペクタクルにはもっとね! 皆が朝から夜まで間断なく書いています……私はといえば、長い間否定しつづけました。でもこの攻撃的否定、これを私はもう今や必要だと感じないんですよ。実際、これは衰弱の現象ですね。

    L:その疲れはあなたを世界と和解させたのでしょうか?

    C:いいえ、それは単に私を衰弱させただけです。私はこれまでの人生の間、自分は自分がが知っているどの人よりも明晰な人間である、という途轍もないうぬぼれを抱いてきました。これは誇大妄想狂の明白な形態ですね。でも本当のところ、私はいつも人々は幻影の中で生きていると思っていたんですよ――私を除いてね。彼らは何も理解していない、と私は確信していました。それは軽蔑ということではなくて、ただ単に確認です。皆が騙されているし、人々は素朴である。しかし私は騙されないという幸運を――あるいは不幸と言ってもいいですが――我がものとしました。そしてそれは実際、何にも参加しないということ、他人の目的の喜劇にまったく関わらないで振る舞うということなんです。

    L:今となって、あなたのそのような振る舞いは、正しかったと思われますか?

    C:もちろんですよ!

    L:あなたは生涯で、リヴァロル賞、サント-ブーヴ賞、コンバ賞、ニミエ賞といった文学賞を授与されてきました。最初のリヴァロル賞を除いて、あなたは全て辞退されました。なぜでしょう?

    C:パリの文学的スペクタクルにはうんざりなんですよ。作家は皆一つの文学賞を手に入れるためにどんなことでもやってのけます。それはまさしく産業とも言うべきものです。私は選択の余地がないことを素早く理解しました。全てを受け入れるか、全てを拒否するかなのです。最初、私は受け入れました……

    L:リヴァロル賞、『崩壊概論』に対してですね。

    C:そうです。それは最初の本だったし、選定委員会のなかにはフランスでもっとも偉大な作家たちがいました*1。彼らは年を取っていたけど、私はまったくの無名だった。その賞を拒否するのは当時何の意味もなく、それはただの厚かましい行為にすぎなかった。1949年のことでした。しかしこのことの後、つまりフランスの文学生活についてよりよく知った後に、賞というものはとても不愉快なものだということ、そして私にとってほとんど危険なことだと気付いたわけです。

    L:あなたがニミエ賞を拒否されたとき、あなたは弟さんに向けてこう書かれています。「『生誕の災厄』のような本を書いた後に、文学賞を受けることなんてできないよ」。しかし、それにもかかわらず、この辞退の連続は反対に一つの宣伝の形態ではないでしょうか? あなたの辞退は噂になり、好奇心を呼び覚ましました。

    C:いや、私は最初から賞は拒否すると決心していました。

    L:あなたがインタヴューに応ずることが殆どなかったのも、徹底してフランスのテレビに出ることを拒否したのも同じ理由からでしょうか? あなたはパリの舞台からもっとも引っ込んだ著者であると考えられていました。

    C:パリに生きていて、文学賞のスペクタクルを見物する人は、決定せざるをえないのです。他人と同じように振る舞うか、それともそうしないかというね。

    L:あなたの作品が外的な性質を帯びているとは感じられないのですか?全ての作品は公衆に読まれます。公衆とは宣伝を意味します……

    C:ええ、でもそれを引き受けるのは編集者だけで、私ではない。私はそこに混ざりたいとは思わない。私が自分の商品を持って街に売りに行くことなんてこれっぽっちもありえませんよ! その上私は少しばかり運命論者でしてね。どの作家もその運命を持っています。賞を拒否すること、それはフランスの文学的風習に対する抵抗の一つの形態でもあるんですよ。


    ***


    L:フランスでは、あなたがラシナリというトランシルヴァニアの村に生まれたことは知られていますが、しかし大部分の人々は、この場所があなたにとっていかに重要であるかということを無視しています。あなたは何度もラシナリから出ることを楽園からの追放になぞられましたね。

    C:私の幼年時代はまったくの楽園そのものだった。

    L:いくつかの場所が、ルーマニアにいるあなたの弟さんや友人たちへの手紙の中で回帰するように現れます。隣の家の果樹園、お父上が勤める教会、コアスタ・ボアーチ――村に張り出た丘、永遠に遊び回っていた、半ば伝説的な土地です。コンスタンティン・ノイカに当てたあなたの手紙の中に、有名なフレーズがありますね――「コアスタ・ボアーチを去って何かいいことがあっただろうか?」

    C:風景は重要な問題です。山で生きた時、その他のものは言いようがない陳腐なものに思える。そこでは何か原始的なポエジーが行き渡っています。コアスタ・ボアーチが私にとって本質的な役割を担ったということ、これは認めなければなりません。私はそこに行って、村を支配していました……

    L:あなたの他の幼年時代過ごした場所も特別な意味を帯びているのですか?

    C:ええ、特に墓地がそうです。墓堀人に友人がいましてね。彼はとてもいい人間で、彼は私のもっとも楽しみにしていることが、髑髏を手に入れることだと知っていました。彼が誰かを埋めていると、私はすぐに駆けつけて、彼が私に一つくれるかどうか見守っていました。

    L:どうして髑髏に惹きつけられたのですか?

    C:私の楽しみ、それは…それでサッカーをすることでした。私は髑髏に目がなかった。私は墓堀人が髑髏を掘り出すのを見るのがとても好きでした。

    L:それは病的な嗜好なのでしょうか、あるいは無邪気な遊びなのでしょうか。

    C:その両方だと思います。結局のところ、私はサッカーをするのが好きだった。髑髏が空にくるくると回っているのを私の目が追っているときのことを憶えています。私はそれをつかまえようと突進しました……。それは何より素朴なスポーツだった。私は髑髏でサッカーをするのが許されないことを知っていたし、それが普通ではないことを十分に意識していた。それに、私は誰にもこのことを話しませんでした。それは病的な感情に属するものではなかった。しかし、死の世界との一種の親近感のようなものがありました。墓地はとても近かったし、埋葬にも慣れていましたから……。

    L:しかし今あなたが語られた親近感は、死の問題から切り離されなければならないのではないでしょうか。そのような親近感は、死から距離をとるものであっても、思考の中心的なテーマになることはなかった。そのような経験は、死という現象に対して明朗な視線を与えるか、あるいは無視させるようになるのではないかと思います。ところが、反対に、死はあなたにとってオブセッションとなりましたね。

    C:私の死についてのオブセッションを、7歳か8歳頃のこの経験に遡らせることができるとは思いません。死が私の人生の中で役割を果たすようになるのはもっと後のことです。実際死は、16か17歳の時に私にまとわりつくようになりました。それが絶頂に達するのは『絶望のきわみで』を書いた頃です。したがってこの現象は後々のものだけれども、でも墓地での交際が私に影響を与えたというのはありうることです。私が多少とも居合わせた埋葬、涙、嘆きに私は無関心ではいられなかった。しかし、正確にいつと言うことはできませんが、この感覚は、はっきりとした問題へと変わったのです。


    ***


    L:では楽園から去り、いかにしてあなたが追放された後の生への一歩を踏み出されたのかに移りましょう。

    C:私の人生のなかでもっとも悲しい日は、父が私をシビウの寄宿先に送った日です。その日を忘れることは決してありません。私の人生のなかで全てが壊れてしまい、死を宣告されているのだという感じを持った日です。忘れることはありませんよ!

    L:哲学の読書を14歳から15歳のときに始められましたね。あなたの読書ノートを見せていただきました。リヒテンベルク、ショーペンハウアー、ニーチェ……

    C:その後にキルケゴール。私がある日キルケゴールを読んでいた日のことを思い出します。庭師が現れて――人々は彼は狂人だと言っていました――私に訊くんです。「どうしてずっと本を読んでいるの?」。「楽しいからさ。本には……」「そこにはなにも答えは見つからないよ。ないね、ないね、本からは。本のなかには見つけられないよ」そして私は彼を見つめて言いました。「あなたは考える人、認識する人、理解した人ですね」。

    L:なるほど。しかしあなたがそのことを初めから理解していたならば、どうしてあなたは今世紀でもっともすさまじい読書家の一人になったのでしょう?

    C:私は膨大に読みました、それは本当です。私は一生の間膨大に、一種の脱走のように読んできました。私は哲学のなかに、他者のヴィジョンのなかに入りたかった。それは本への一種の逃走、自分自身から逃れることです。

    L:でもどうしてあなたは自分自身を忘れる他の方法を探さなかったのですか?例えばアルコールとか……

    C:いやいや、私は酔っぱらってばかりいましたよ!

    L:酔っぱらう? あなたが? いつのことです?

    C:若い頃、とても頻繁にです。私は酔っぱらいになることばかり考えていました。非意識の状態と、酔っぱらいの馬鹿げた誇りが気に入っていたのです。休暇のとき帰るラシナリでは、私は古典的な酔っぱらいを盛大に賞賛していました。彼らは毎日酔っていた。とくにそのうちの一人は、一日中バイオリンを持ちながらぶらぶらし、口笛を吹き、歌っていました。彼は村中で唯一面白い人間だ、唯一理解している人間だと私は考えたものです。みんな何か仕事に従事するというのに、彼だけは遊んでいました。彼はアメリカの叔父を持っていて、2年の間にすべてを使い果たし、無一文になりました。彼がそのあとすぐに死んだのは幸運だったと言えるでしょうね。

    L:あなたがそのような人々、堕落し失敗した人々を賞賛すると、それはただの若者の奇矯愛好(teribilism)、上品ぶった人々をあきれさせるだけのものだ、と非難されますね。

    C:まあそうです。それは見つけるのがもっとも容易な説明ですね。本当のところを言うと、奇妙なことでしょうけども、私のなかの何かと照応しているもの、それはあまりにも普通で平凡な両親を持ったことでずっと感じていた不幸です。言うなればね。私の不眠の時期を思い出します。母とともに家に独りでいたある日のこと、危機のあまり、私はベットに身を投げてこう言いました。「もうだめだ! もうだめだ!」。すると司祭の妻であった母が私に返しました。「もし知っていたならば、堕胎していたのに」。このことは突然私に巨大な喜びをもたらしました。私は自分に言ったものです。なら俺はただの偶然の産物なのだ、これ以上何が必要だというのか?



    *1 委員会のなかには、アンドレ・ジード、フランソワ・モーリヤック、ジャン・ポーランなどがいた。

    第三章 ルーマニアの心理的・歴史的空虚 その1(56-60頁)

     もし、ルーマニア人の精神的潜在力が、過去に現れた規模を越えないということ、そして、ルーマニア精神の隠された相貌に、光が当たらないということが明らかになるとすれば、明日のルーマニアの基礎を築こうとする試みは、いかなるものでも無益であることだろう。国というものは外から生まれ育つのではなく、内的な条件から発育する。この内的条件は、たしかに形式的な枠組みに従うとはいえ、固有の心理的制約が個性を刻印している。ある国の生成の意味(目的)は、それぞれの民族の心理のうちに根拠を持っているのである! そしてもし民族の運命の社会的形態と客観的具体化が、心理的に説明されえないとしても、運命の空虚、不完全、否定的側面を理解することはできるだろう。

     ルーマニア人の精神構造のなかに本質的な欠陥が存在する。その欠陥は根源的空虚であり、われわれの過去の失敗の連続はこの空虚に由来する。民族は長いプロセスを経て自分自身を発見するがゆえに、ルーマニアの発端において「陶冶された精神」は存在せず、存在するのは素質や潜在力のみであり、その全体において運命と革命の意味が示されるのである。ルーマニア民族の心理的潜在性のなかに、本質的欠陥を形作るような、不適合性、不一致性が原初から存在するに違いない。あれほど多くの民族に、種子の状態で自発性が、その始まりにおいて活発な輝きが、衝動的爆発が存在したのに対して、生のルーマニア的形態は根源的ダイナミズムの欠如を示している。

     ルーマニアの原罪が存在する。その性質は定義不可能だが、過去の全ての空虚のなかに確認することができる。この原初的欠陥の克服こそが、世界へのわれわれの登場の条件であるゆえに、緊急の必要に思えるのは歴史的飛躍である。ルーマニアの根源的精神におけるポジティヴで創造的なものが、どのような障害に出会うとしても、われわれを前進させてくれる。今まで現実化したものすべてはダイナミックな衝動のゆえであるが、しかし残念ながら、その衝動は、われわれの前提条件のなかに書き込まれた否定性に対してはほとんど無力であり、そしてこの否定性が、われわれを千年間歴史的に眠るままにしておいたのである。

     ルーマニア民族の現在の欠陥は、その「歴史」の産物ではない。そうではなく、その歴史が心理的構造の欠陥の産物なのである。歴史的条件の特殊さと重大さは、原初的素質を強めただけであり、われわれの非-歴史性を明らかにしただけである。われわれの通り過ぎた「過酷」な時代は、われわれが十分に強くなかったがゆえに、それに打ち克つことができなかったゆえに、そのように「過酷」であったのである。もしわれわれのなかに、個性を持たせるような、必ず自己を顕示する傾向があったならば、われわれはかつての過酷な時代に打ち克っていただろう、大きな民族が行ってきたように。大きいというのは、運命としてであって、数の問題ではない。たしかに民族が重要なものになるのは数によってである。だがより重要なものになるのは、その攻撃的な力による。人口の問題は、その減少が民族の生物学的欠陥のせいである場合には、悲劇的になる。それゆえ、人口は少ないが成長しつつある若い民族は、人口は多いがしかし衰退している民族よりも、創造的で恐るべきものである。戦闘的・軍事的本能は、数量的現実よりも、はっきりと民族を歴史的に形成させる。プロイセンは、もしドイツの他のすべてから引き離されたとしても、つねに独立した国家をなすことができ、その少ない人口にもかかわらず、ドイツと同じくらい恐るべき国である。プロイセンのみでドイツの残りすべてに匹敵する。このことにより、なぜヒトラー主義を通して、プロイセンがその様式を全ドイツに押しつけることができたのかがわかる。どの政治的形態においても、ドイツはつねにプロイセン化されるだろう。

     人類が平伏する唯一の祭壇は力である。われわれルーマニア人もこの祭壇に向かって平伏してきた。しかしただ、われわれ自身を侮辱するために、そして他者の力を賞賛するために、そうしてきたのだった。

     ルーマニア人はつねに生ぬるすぎた。極端と決定的解決を嫌うことで、ルーマニア人は物事の流れに対して、個性を持つ民族に特徴的な反応を示すのではなく、出来事に振り回され続け、その結果、すべてはルーマニア人を通り越して成し遂げられた。われわれの均衡は調和ではなく、欠陥を表している。その均衡の範囲は潜在的な内面の葛藤すら及んでおらず、均衡に達しているのは、非現実的な精神の苦い静けさだけである。結局のところ、均衡は、大きな文化の古典的な時代、つまり様式の完全さと内的完成の中で大きな文化が生まれる時代においてでしか、意味を持たないのだ。文化の小さな形態においては、均衡は無意味で、いかがわしいものである。民族が世界へと道を切り開いていくのは均衡によってではない。歴史は永遠の、苦悶の探求――それは悲劇に似ていて、決して手探りといったようなものではない――によって作られる。民族はエネルギーだけでなく、その本質や存在も危険にさらすべきである。民族が自己を実現せずにその存在に対して罪を犯すことは、人間の未完成と同様、段階的な自殺にほかならない。

     ルーマニア人はルーマニアの上方に現れる太陽のことを考えるべきであったし、具体的な行為によって光に返答すべきであった。激動の歴史は至高の存在に対する民族の感謝である。世界は神の存在を正当化するものではない。しかし歴史は人間の存在を正当化する。

     ルーマニアにおける民族的特徴とは何か、何がルーマニアを千年間静止にとどめたのかを探求しようではないか。われわれの民族的特性に結びついた馬鹿げたプライドと一緒に、その特徴を一掃することを可能にするために。

     ……ルーマニアの農民を眺めるたびに、私は彼らの皺のなかに、われわれの過去の痛ましい空虚の証拠を見出して喜んだものだ。ヨーロッパにおいて、これほど悲しげで、土の色をした、打ち負かされた農民を私は知らない。私は想像する、この農民は、生への激しい渇きを持っていないために、顔の上に屈辱のすべてが刻みこまれ、皺のくぼみのなかに敗北のすべてが注ぎこまれているのだと。どれほど生の力があったとしても、生物的若々しさの印象はまったくないだろう。地下的存在というのが彼らの本性であり、その曲がった腰でゆっくりと歩く姿は、われわれの運命の影の象徴である。われわれは谷と山と低地からでてきた民族である。われわれは空を陰から眺め、暗闇のなかでまっすぐ立ったままでいた。われわれは千年間涼をとってきた。それゆえ熱だけがわれわれを救うことができる……。

     いつルーマニアの農民は頭を上にあげるだろうか? われわれは生まれたときから下を向いてきたのだ。ルーマニアの特性についての批判は、理論的根拠だけでなく、実践的根拠をも持つ。この国の内的存在についての有効な資料が比較的少ないので、その内的存在を明らかにする外的要素のすべてを利用しなければならない。フランスの、ドイツの、そしてロシアの農民の特徴においては、その国の歴史に対応した特徴を表現している。だがフランス・ドイツ・ロシアは、世界を盲目にいたるまで目をくらませ、その上われわれのような民族ではなかったために、これらの国について語るとき、われわれはたやすくその農民のことを忘れることができるのである。

     どの民族も、決して単なる民族的文化の実現ではなく、「歴史的」文化の実現を目指すべきである。民族的要素は同化されるか、無視されるかである。目的を考えることは、文化の上昇する歩みの失敗を意味する。

     民族的文化しか創造しなかった民族は、歴史の段階に達することはなかった。もしどの民族的文化もエスニックなものを価値であるとみなしたならば、どうやってその段階に達するというのだろう。民族的文化は、その精神の深い根から生まれ、かつその根と密接に結ばれている創造物の総体である。それに対して、精神の反省的努力は、歴史的文化に、世界へと自力で飛び立つ価値を与える。民族的文化は、神話という歴史の前兆のなかで呼吸している。それは生成を実体的に考え、したがって永遠性に重要な位置を与え、歴史を考慮に入れない。民族的文化は進歩を知らない、知っているのは変化だけである。しかも本当のところ、この変化は偽りのものなのだ。民族的文化は、根源的なもの――それはある民族の黎明期の地上的要素の総体である――以外の価値を持たないということによって、民族的文化は原始的であり、反動的である。つまり自己自身にとどまっている。歴史的飛躍の目的は、自身を自らの呪いから解放するということである。誰かがルーマニアをルーマニアそれ自身から引っぱり出すのだろうか? いつルーマニアは自己自身から脱出するのだろうか?

     この地上における幸福な民族は、一種の噴出であり、したがってそれらの運命は無意識的に垂直のイメージを生み出す。ゴシックは、上昇の、目がくらむような飛躍の、超越的生成の方向へと向けられた様式である。文化の個性は精神のゴシック的要素に従って決定される。その優勢が個性の強さを特徴づけている。文化の飛躍は、ゴシック的パトスが内的に存在していることを表している。というのも、ゴシックは精神の垂直的方向だからである。悲劇的なもの、崇高なもの、そして違う世界への情熱としての現世の放棄はゴシック的なものに由来する。ゴシック的なものが欠けていると、人は静かに、そして微温的に、時間の獲物として食べられながら生成に同化する。水平的横滑りとしての運命は、ゴシック的なものの否定であり、ゴシックから生まれた生の複雑さの否定である。ルーマニア民族は、ゴシック的精神の下で生きたことはなかった。ではその精神とはなんなのか? それは受動性、懐疑主義、自己軽蔑、浅薄な観照、卑小な宗教性、非-歴史性、知恵であって、これらはわれわれの国の特徴の否定的な側面を構成していたが、残念ながら、側面どころか主要な面なのである。このようにわれわれは千年間生きてきたのであり、この後の何千年間ももはやこのように生きるべきではないのだ。

    第二章 ルーマニアのアダムの状態 その4(51-55頁)

     私には明らかであると思われるのは、平凡で、大人しい、あきらめた、知恵のあるルーマニアを私は受け入れられないということだ。道徳的・経済的再生が有効な前進であると考えるのでは十分ではない。誠実で整然としたルーマニアなどというものは、道徳的・経済的快適さを超えて、秘められた力――その存在をわれわれは疑ってはならない――を拡大する、ということなくしては、まったく何の意味も持たない。私には反発しか感じられないのだが、われわれのナショナリズムは、未来のルーマニアを、スイスのようなものとして構想した。整然として、誠実で、道徳的、それだけだ。もしルーマニアが、支配の感覚を、世界どころかバルカンにおいてすら見いだせないのであれば、またもし、ルーマニアの使命とは国内の秩序と国境警備であると、ルーマニアの歴史的理念とは、われわれの歴史以下の状態の恒常的反応であった忍耐という、いわば民族の特性を養うことでしかない、ということで満足してしまうのであれば、引き延ばされた断末魔のなかで喜びの声をあげながら溶解してしまうほうがずっといいだろう。

     ルーマニアとは地理であって歴史ではない。誰がこの悲劇を理解していよう? 国民(国家)というものは、それが他者にとって問題となるときのみ、その名前が反応を引き起こすときにはじめて価値がある。われわれは全員、フランス・イギリス・イタリア・ロシア・ドイツとは何か知っている。しかし誰もルーマニアとはなんであるか知らない。だがなんでないかは完全に知っている。ルーマニアの欠如について精通することによって私は、ルーマニアが何ものかになるために必要なものは無限にあるということを知った。

     昼夜を問わず、ルーマニア人はルーマニアについて話している。しかし認めなければなるまいが、ルーマニアがその人にとって深刻な問題や信仰や運命であるような人を、見つけることはほとんどなかった。そのかわり、ルーマニアについての陳腐な見解には頻繁にお目にかかる。国民的予言の欠如こそ、われわれのナショナリズムの弱点の一つであるように見える。

     これからもわれわれは他人の道を繰り返し、生物学的意義に満足するという呪いをかけられたままでいるのだろうか、われわれはただの民族(popor)にとどまるのだろうか? しかし歴史にとっては、ルーマニア国民(națiune)などというものは存在しないのだ。というのも、千年間われわれは世界の静けさをかき乱すようなことは何もせず、今日においても、われわれが世界の不安を増大させるどころか、かえってわれわれが世界の不安に脅えている始末なのだから。われわれは「知恵のある」民族であり続けるのだろうか? それならば崩壊したほうがましというものだ。われわれが自らの不毛な恒常性をどれほど否定するのか、未来が示してくれるだろう。

     民族それ自体は精神的現象ではない。民族は国家(国民、națiune)を通して精神を分有するのであり、それによって、その本質においては精神的でない国家も歴史的に精神的価値を体現するのである。どの民族も、その世界への執着によって特徴づけられ、多くの前文化的要素をその存在に包含している。民族の存在の長所と短所の全ては、原初的な状態からの近さに由来する。より大きな生命的鼓動を行うことで、精神的意味からは遠ざかってしまう。民族が理念を持つようになるのは、国民になるか、あるいはすでに国民であるときに限る。民族としては、われわれはごく早くから存在している。トランシルヴァニア人、ムンテニア(ワラキア)人、モルドヴァ人等々。何百年もの抑圧のなかで、ルーマニアの団結のための運動がなかったと言うことはできない。しかしまさにこれら民族のヴィジョンは――私には驚くようなことではないが――民族的な存在に特徴的な要素を超えることはなかった。国民(națiune)は民族(popor)の水準よりも高い水準にある。この水準においてのみ民族は、個性の明確なしるしである豊かな攻撃的推進力(エラン)を獲得するのである。

     バイエルン人、ザクセン人、プロイセン人や他のドイツ系の人々は、孤立した半ば自律的な生活において、根源的な要素、原初的な力強さというドイツ民族の特徴を示すことができた。しかしただの民族としては、諸々のドイツ人は、周辺的な役割に運命づけられていたかもしれない。国民(国家)は、民族の歴史的能力とメシア的傾向を、明らかにするとともに引き出す。民族的存在の基礎は本能によって政治的に方向づけられる。ただ国民(国家)のみが政治を芸術の域にまで高めたのである。政治的本能を持たない民族は、国民に続く道の途上で挫折する。政治的本能とは何か。それは成功への非反省的な傾向、すなわち価値判断を無視しうるような傾向である。それは倫理への配慮を持たない、目的としての力と栄光である。優位と唯一性への欲求である。客観的な形態と、組織化の崇拝である。芸術となることで、政治的本能は最大限の勝利の獲得を目的として、エネルギーの全てを方向づける。強大な政治的精神を持つ国民はつねに警戒している。その国民の偉大さをなしているのは、攻撃性と明晰性のよくとれた均衡である。各々の国民が、その歴史的水準の上昇(力・使命・帝国主義)を目指すのは、時宜にかなって自らの力を生かすためである。そして権力は、他の「権力」の損害において以外には生かされることはできない。国家間の紛争は時とともに激しい対立になる。国家が存在するかぎり戦争もまたなくならないだろう。そして国家が消滅したならば対立は人種間で増大するだろう。そして人種の後は…惑星の間だろうか?

     人間において、苦悩への集団的探求が存在するというのは明らかである。戦争は人間の定期的な呼吸であり、もちろん堕落として考えれば、人間の運命の究極的野蛮さの表現である。

     民族が国民になろうとする傾向を持つように、国民も大国になろうとする。前者の変化が、本能の能力と自発性によって成立するのに対して、大国への変移は、意識の闘争の劇的な形態をとる。この大国によって提示されるスペクタクルは、誰にとっても失望的である。それは歴史に倫理的目的を求める者にとってだけではない。大国は支配によって以外には実現されえない。もしある国民(国家)が、充分なエネルギーを持ち、その結果、自分自身によって大国になったとしても、大国は支配と侵略と征服による以外、現実的に存在することはない。これら侵略と征服は、たとえ国民自身が自分の持つものに満足していたとしても、不可避である。積み上げられた力は、国民を横溢と噴出へ導く。自分の意志からではなく、あれほど多くの国民が力の純粋な飽和から戦争を起こした。帝国主義の潜在力というものがあり、それは諸国民の間に不平等に分配されている。どのようにしても、諸国民は同じ水準に居合わせることができない。不平等は力のヒエラルキーを作ることで、必然的に対立を強化し、戦争を解決できない運命として固定する。帝国主義は、ある民族の空間的限界や人工の超過だけで説明されえない。帝国主義に病む国は、必要とする領域の全てを征服しても、帝国主義者をやめることはない。それは、どの真正の帝国主義も、国民の意味と生成に密接に結合されているからである。古代ローマは自分が望んだすべてのものを支配することができたが、これはローマが帝国主義的であり続けるのを妨げるものではなかった。そしてローマが帝国主義的であったのは、その歴史の固有の方向によってそうであったのである。一時的な帝国主義というのはあまり意味があるものではないし、大きな国民を表すものでもない。巨大な征服はまったくの無償のものであり、無用な運命である。必要のゆえだけで征服した者は、その行為によって歴史的重要性に達することはない。歴史において壮大で持続するものすべては、人間の通常の必要と共通なものは何もないような必要性のもとで成立する。歴史のすべては無償の悲劇以外のものではないかもしれない……。

     突然姿を現したような民族、同じ水準ではないとしても、少なくとも同じ目的を持つ民族だけが世界にあって幸福である。水準の大まかな不平等性は、同じ目的への熱狂的な追求によって緩和されるのである。諸国民は互いに悲劇を準備する。しかし悲劇は、国民になろうとする民族にとって、すでに民族から国民へというプロセスを終えた他の国が大国として優位を争っているとき、いっそう甚だしいものとなる。大国に飲み込まれないためには、歴史への飛躍がそのような民族にとって唯一の救済である。すべての対立の源泉である歴史的水準の不平等、これを克服する他の道は存在しない。この飛躍は、他の民族が没落するときに世界へと突進する民族にとっては、望ましいものであるだろう。精神的には、その民族はデカダンスの悲劇も耐えることができる。しかしその民族には、大国の弱点を利用することによってその上昇を速めることができたのだ、という政治的汚点も残されるだろう。大国がその黄昏を祝っているときに自己を確立する、このことに大きな価値などない。他の国民が意義に満ちた生を送ったあとで、重要性を持たない生命力を喧伝するというのは、準蛮族のやることである。真の蛮族とは、純粋に生物学的意味においてそうなのであって、それとは知らず、不当に蛮族の聖痕を持ち合わせている。というのも、なんの理念にも仕えない帝国主義でなければ、蛮族とはなんなのか? 精神的意味を持たない生命力、政治的感覚を持たない征服、使命なしの打倒が、蛮族をあいまいで実り豊かな現象にする。もし蛮族が、歴史的空虚――民族の黎明はそのなかで現れる――を準備し、したがって蛮族を飛び越えて、生成が歴史的空虚に意味を与えてしまうならば、蛮族それ自体にはなんの深さもないということになるだろう。歴史的に若い民族の確立は、蛮族の形態をとるに違いないが、しかしその溢れるエネルギーの爆発は、理念の誕生への崇拝を、精神的意味による個性化への情熱を秘めているのでなければならない。そうでないならば、その黎明は他者の没落に値するものではない。(第二章・了)

    第二章 ルーマニアのアダムの状態 その3(47-51頁)

     実現の唯一の手段として国民(国家)の存在を歴史が前提しているということ、そして歴史の生成が、諸国民間の紛争においてその実体を正当化するということ、このことを喜んで良いのかどうか、私はわからない。いずれにせよ、歴史の多元主義的な構造に対する熱狂は、深みのないヴィジョンの産物だと私は考える。しかし、最終的に、われわれの心を占め、興味を抱かせるのは、われわれを条件付け、歴史的観点から絶対的なものとして国民を表す現実のありようである。たとえ超歴史的観点が、その無意味さをわれわれに見せつけるとしても。

     望もうと望むまいと、聖性を除くすべてのものは、国民(国家)を通して成る。国民がすべてを生み出すのは、何かわからない創造的力によるのではない。われわれの民族の定義不可能なものが、われわれを歴史の生成の流れに統合し、創造の具体的意味を決定するのである。

     国民(国家)からの分離は挫折に導くというのは、つねに確かめられてきた事実である。地上の力と非合理的魅力から身を引き離すほど確かな自分自身の呼吸を可能にする自律、そのようなものを、いかなる精神的人間が獲得したというのか? 歴史において危険に身をさらすということを、われわれ全員が受け入れたからには、歴史の非還元的なもの、運命の偉大さを受け入れなければならないし、情熱と軽蔑の均衡を取って歴史に従わなければならない。

     私は熱狂して人間性を求めたが、見出したのは国民(国家)のみであった。私が国民をよく理解すればするほど、人間性は私から離れ、疑わしく、かすんだように見えた。国民(国家)は人間性の理想的意味の真実性を保証するものではない。なぜならどの国民(国家)も、人間性にとってかわろうと欲するのだから。そして人間性にとってかわろうとしないような国民(国家)は大きなものではない。もしフランスが、国家的なものを世界的なものとして、フランスに特殊なものを人間に普遍的なものとして、欠陥を卓越さとして、不完全さを美徳とみなして実際に行動しなかったのなら、フランスはどうなっていただろうか? フランスはそれ自体として、とりわけ自らにとってあまりにも完全であったので、フランスの歴史はフランスに「歴史」を無視する権利を与えたのだ。どのフランス人にとっても、フランスは世界そのものである。この感情は大きな国民に特徴的なものだ。大きな国民はそれによって、歴史の独占に成功したのである。

     今まで何百という民族が記録されてきた。しかしそのなかで、どれほどが国民(国家)になったのか?民族はただオリジナルな輪郭を持ち、その特殊な価値を普遍的な価値として他者に押しつけるときにのみ国民(国家)となる。ただの民族として生き残ることは、歴史を記録することであり、国民として生きることは、歴史に記録されることだ。ただの民族にとどまった人間の集団は、生物学的水準を、非普遍性から生じた受動的抵抗と受動的価値を超えることはない。民族が自分の輪郭を勝ち取るプロセスは、継続する暴力であり、生物学的噴火、特殊な価値の開花の装飾され、正当化された爆発的噴火である。民族が、伝統を、共通の価値観を持つということだけでは、世界においてその痕跡が残されるであろうということにはならない。民族が運命になろうとし始めるとき、すなわち、豊かになろうとし、破壊をし始めるときに、はじめて民族の条件の無意味さが克服されるのである。かつてフランスが存在し、今日ロシア・ドイツ・そして日本が存在するということは、この運命の要素を、国民国家になろうとする意志を決定的なものにすると私には思える。

     私の誇りと怒りが、この大国の力のたわむれにルーマニアを少しでもはめ込もうとする度に、ルーマニアの過去と現在がそれを排除する。そして受け入れがたく、引き裂かれんばかりに痛ましい周辺性に呪われないためには、過去と現在は別の姿でわれわれに現れなければならない。われわれは歴史の段階とみなすことができる全ての契機を持っているが、しかしそれは絶え間ない忌まわしさを帯びている。ルーマニアは農民と民族芸術と風景(風景だけはわれわれの功績にはならない)のほかにオリジナルなものは何もない。しかし農民とともには歴史の裏口にしか入れないのだ。この国の原始的で、地上的で、単調な雰囲気は恐ろしい。迷信と懐疑との不毛な混合という世襲の呪いではちきれんばかりの国! ルーマニア全体は土の臭いがする。ある人々はこれは健康であると言う。まるでこの言葉が賛辞であるかのようだ! われわれは単なる哀れな民族のほかになることはできないのか? これが問いである。

     ベールイ、この悲しみに満ち、ロシアの未来について悩んだロシアの詩人は、引き裂かれるようなある一つの詩のなかで、私がルーマニアについて深刻に考える度に支配される感情を表現した。「お前は空間のなかで消え去るだろう、おお私のロシアよ!」。われわれを超越する力に飲み込まれるのではないかという恐怖、時間がわれわれを消滅させ、空間がわれわれを押しつぶすのではないかという恐怖。あまりにも遅く生まれたので、自分の存在は失敗に終わるのではないかという……。誰かこの恐怖が妥当ではないと思う者がいるだろうか? 歴史がわれわれを越え、無視していくのではないかという恐怖を持たない者は反ルーマニア主義者である。一方で、ルーマニアの過去と現在をそのまま受け入れる者は裏切り者である。そして、われわれがまだ持たない歴史へ入っていくためにこの国が必要としているものすべてに対する裏切り者であり、そのすべてを認める勇気を持たない裏切り者である。組織された反抗だけが、運命によって衰弱するのをわれわれが望まない国を活性化させ、揺さぶることができる。というのも、ルーマニアは、われわれの考える意味では国家でないことを知るべきであるからである。国民(国家)の見かけを持つこと、ありふれたナショナリズムの条件を満たすこと、平板な定義に一致していることはまったく意味がない。国民は歴史的理念のために戦うことによって自己の存在に妥当性を与える。メシアニズムは、このような理念を実現するための闘争と苦悩にほかならない。歴史を作るという意志は、民族の生物学的な根に由来していなければならず、そのために戦える諸価値を供給することができるように、否応なく血液のなかに巡っていなければならない。非常に多くの民族が存在するにもかかわらず、国民の数はまったく少ないということは、それらの多くが生物学的に使命を感じているとしても、多くの価値のなかで自己を実現することも、その価値を実現することもできないということによって説明される。スペイン人は、メシアニズムの素質をあれほど持っていたのに、文化上のスペイン的理念を創造することもなかったし、一時的にしか成功することができなかった。聖テレサからウナムーノまで、彼らは個人の情熱においては発展し消尽したけれども、征服者となることも、文化の様式を作ることもなかった。残念ながらコンキスタドールは、精神の征服者ではなかったのだ。スペイン人、この並外れた民族は、国民として実現することに成功しなかった。私は、バレスやモンテルランに劣らずスペインを愛しているとはいえ、スペインが歴史の生成の失望の一つであることを認めざるをえない。

     個人の挫折だけでなく、国の挫折も存在する。挫折は、平凡な役割に満足するということ、力強さに欠けた呼吸、ゆっくりとしたリズムに満足するということで表される。私はつねづね、ルーマニアの圧倒的平凡さは、歴史を作るという意志なしでは克服することはできないと考えてきた。そして歴史は、生の新たなエートス・様式・形態なしでは、何の意味も持たないのである。実効的なメシアニズムは、国民の実体において歴史の軸を内面化する。このことが意味するのは、ある国民が自らを不必要な存在であると、それどころか、普遍的な流れにとって無駄な存在であると考えるならば、そのような国民は生きる権利を持っていないし、無用なものでさえあるということだ。ルーマニアの運命に、幾多の夜も徹して苦しんだ一人として、われわれは、自分たちが無用な存在ではないことを示すためにほとんど何もしてこなかった、ということを認めざるをえない。われわれはほんの少しのことで満足し、無用なものであることを誇っている。栄光とは歴史の真のカテゴリーであり、力の光輪(アウラ)であるが、この栄光がわれわれに微笑んでくれたことは一度もなかったように思われる。しかし歴史のなかで歴史のために生き、かつ栄光を知らないというのは、まったくの破滅である。

    第二章 ルーマニアのアダムの状態 その2(41-47頁)

     ルーマニアというものが、苦痛に満ちた強迫観念でないような人間には、ルーマニアの問題はわからない。大きな使命の感覚を認識できるようになるためには、ルーマニアの過去に向けられる明晰で苦いまなざしが、その最終的な帰結に至るまで徹底されなければならない。われわれの運命の再生が、各人の生命の岐路や悲劇の転機でないような者は絶望的である。今までわれわれは、歴史を作ってきたのではなく、歴史がわれわれを作るのを待っていたということ、われわれの存在を超える力が、われわれを活気づかせるのを待っていたということに、狂気に至るまで苦しまない者はナショナリストではない。ルーマニアを小さな文化、つまり自らの軸のまわりで回転するような勇気を持たない文化の範疇と宿命に閉じ込めようとする、運命的限界に煩悶しない者はナショナリストではない。ルーマニアが大きな文化の歴史的使命、すなわち政治的帝国主義、内的メガロマニア、権力への終わりのない意志といった、大きな国民に特徴的なものを持たなかったということ、このことに果てしなく苦しまない者はナショナリストではない。そしてまた、変容的救済を熱狂的に欲しない者もナショナリストではないのだ。

     ルーマニアは素朴に、非問題的に愛されることはできないし、愛されるのは当然であると認めよと要求することもできない。なぜならルーマニアが愛されるべきかどうかは、それほど明白ではないからだ。われわれの虚無と非連続性の意味、われわれの生の形態の変わりやすさの意味、われわれの歴史的様式の非有機的性質の意味を把握しようと努めた者のなかで、存在のルーマニア的形態への軽蔑や、全面的不信、皮肉な懐疑主義を示さなかった者がどれほどいるというのか! しかし、ルーマニアの全ての奇妙なアイロニーとパラドクスを明晰に判断した後で、ルーマニアに光輪(アウラ)の、使命の、運命の可能性を与えるのをなおも拒否しない者、このような人間の躍動(エラン)においては、予言者的憧憬のしるしがあるのだ。

     本能からルーマニアを愛するというのは大したことではないし、誇れるようなものでもない。しかしルーマニアの運命にまったく絶望した後で愛するならば、それは全てのように私には思える。ルーマニアの運命について決して絶望しなかった者は、この問題の複雑さを何も理解しなかったし、この国の運命のなかへと予言者的に身を投じることもないだろう。世界史に光よりはむしろ影を認識する者、呪われた民族、早熟なデカダンス、致命的な失敗、不可避の無名性が存在することを理解している者――この気むずかしい精神にとって、誕生しつつある民族の内的方向を支持することは、それほど無造作にできるものではないのだ。

     自己自身についての意識を持つものの、成熟した後に遅れて自己意識の水準に達した人間と同様に、存在の大半を生物学的に浪費し、その後に自己を発見する民族もまた存在する。ルーマニアは生物学的には成熟した国であり、精神の次元において、素朴な形態で生きることは許されない。精神的には、これまでルーマニアは決して子供ではなかったし、これからもないだろう。

     われわれの歴史への最初の一歩は、精神の成熟の確立と一致しなければならない。ルーマニアは数百年の間、くすぶっていることができた。なぜなら歴史以下の水準の国は、精神の帝国主義的要求を知らないからである。しかし今やもう時間がない。歴史的変容か、それとも無かだ。

     大半の諸文化は自らの幼年期を持ち、精神の黎明期の形態を知っていて、素朴さの点で偉大さに達している。歴史の水準に到達するためには、精神の成熟へと努力するなかで、われわれの実体の全てとともに爆発する以外の道は残されていない。われわれの存在を個性化するもの全てでもって、民族のまだ無使用の予備力でもって、歴史的段階へと至り、われわれの地平のなかに大きな文化の輪郭を見出そう。あるいは、国民(国家)を確立するという意志を見出そう。精神的生において、今まで生きられなかったもの全てが表現され、実現されなければならず、何百年もの間で使われるべきだった全ての予備力が、力への意志のほうに向かなければならない。われわれの使命は果てしない復讐の行為でなければならない。そして創造へと向かう情熱のなかで、われわれの歴史的眠りが罰せられなければならない。

     ルーマニアはロシアと似た状況にある。19世紀に、ロシアは突如として歴史に参入した。知識人の最初の世代が、ロシアの文化様式をはっきりと際立たせた。そして文化的伝統の明白な連続性をロシアが持たないにもかかわらず、その歴史への飛躍は、諸国民の生の方向と目的を規定することができたために、19世紀全体は、ロシアの使命の問題を議論すること以外何もしなかった。メシア的思想は、ロシアの歴史的眠りからの目覚めを表していた。ロシアの生成における論理学の不在こそ、19世紀のロシアの歴史哲学において、非合理的ヴィジョンを決定したモチーフであった。このようなヴィジョンにおいては、歴史はロゴスの内在性なしでも目的を持つことができる。ロシアのメシアニズムは、ヘーゲルから歴史的ヴィジョンのパトスと偉大な記念碑性を受け継いだが、弁証法的理性主義は受け容れなかった。実際、全ての巨大なメシアニズムの特徴は、ダイナミックなヴィジョンと、理性主義的観点を持たない目的論なのである。

     ロシアの奇怪さ(アノマリー)は、比較できないほど減退した次元でだが、われわれのものでもある。しかしわれわれにおいては、ルーマニアの使命という問題、すなわちルーマニアの本質に対する究極的義務の問題は、第一次大戦後、とりわけ近年において、喫緊のものとなった。生きるに値しない使命しか持たない民族には何の意味もない。ルーマニアにメシア的憧憬が存在することは疑いないが、しかしこの使命の内容は、公衆の意識において決定されていない。神話は種子においてのみ存在する。民族が内的拡大の感情を生きるためには、この神話を意識にもたらさなければならないし、この使命の意味を明確に示さなければならない。ただし、この使命において、われわれは、自らの誇りを大きく投影しなければならない。そしてその大きさは、いかなるものも比肩しえないような規模でなければならないし、そのようなヴィジョンが神秘的雰囲気を纏っているほどでなければならない。神秘主義を持たないメシアニズムは空虚で無用なものである。

     ルーマニア人が、最後の一人に至るまで、ルーマニアの条件の特殊性と唯一性を認識したときにのみ、ルーマニアは世界で意味を持つことができる。われわれの政治的生は今までどれほどの神話を生み出してきたというのか? 陳腐か、そうでなければ空虚な抽象があっただけだ。ルーマニアの民主主義は市民意識すら作らなかった。ルーマニアは狂信に至るまでの熱狂を必要としている。狂信的なルーマニアこそ変容したルーマニアである。ルーマニアの熱狂化こそルーマニアの変容である。

     国民の神話は、その国民にとっては、生きている真理である。この真理は、「真理」と一致している必要はない。事実は重要ではないのだ。自己批判を拒絶することこそ、自らの欠陥を通して生命力を増大させることこそ、国民(国家)の自身に対する最高の誠実さである。国民(国家)が真理を求めるであろうか? 国民が求めるのはである。

     ルーマニアの使命は、われわれルーマニア人にとって世界史よりも重要である。たとえルーマニアの過去が歴史なしの時間であったことを、われわれが知っているとしても。

     使命の意識を燃やさない人間は排除されなければならない。予言者的精神なしでは、生は無用な戯れである。ルーマニアが、その内的使命の炎のなかで消尽するときにおいてのみ、ルーマニアは人に悲しみを抱かせる(întristătoare)存在であることをやめるだろう。こう言うのも、ロシアが神聖にして悲しい(tristă)と呼ばれるならば、ルーマニアは、今まで生の不安定さのなかで揺れ動いて来たという理由で、悲しみを抱かせる(întristătoare)という以外言うことはできないだろうから。ルーマニアの悲哀が終わるのは、ルーマニアの厳粛な刻限(ceasul solemn)*1が到来するときのみだ。しかし国民の「厳粛な刻限」とは何を意味するのであろうか?

     国民が、自らの存在の方向と流れを変化させるということへの意識を持つとき、そして変化という岐路において、国民が、歴史の大きなリズムの中に自らを結びつけるという意味で、潜在性の全てを現実化するということを理解するとき、国民は本質的瞬間あるいはその絶頂に近づくのである。

     もしルーマニアがこの厳粛な刻限を目指さないのならば、もしこの国が、屈辱の過去と妥協の現在において起こったこと全てに対する復讐を、運命を実現し決定するという意志のもとで行わないのならば、全ては終わりである。影の中で生き、影の中で死ぬだろう! しかしもし、いわばその地下の力、存在することが疑いえない力が、まったく違うルーマニアを生み出すとしたらどうだろう? まったく違った内実を持ち、まったく違った輪郭を持つルーマニアを? もしそうならば、過去においてわれわれの幻想の透明さのなかでさえもわれわれには明らかにならなかった運命、その運命の輝きを期待するのも当然ではないだろうか?

     ルーマニアの生命力は、必ずやその表現を見つけ出すに違いない。なぜならわれわれは、真の変容を爆発の中で体験しないわけがないほどまでに、過去と現在において自己自身を卑しめてきたのだから。ルーマニアについて語るとき、われわれはつねにペシミストだった。しかし、われわれの歴史と運命の取り返しのつかないものを克服することができるほどには、生は十分に非合理的であると私は思う。ルーマニアの変容の可能性が幻想であると私がもし確信するならば、そのときから、私にとってルーマニアの問題は存在しないだろう。われわれの政治的・精神的使命は、変容への張りつめられた意志に、われわれの生の様式全体の変容への、劇的で憤った感情に帰着する。歴史は飛躍しない、という古来の知恵がもし正しいとしたら、われわれは全員即刻自殺しなければならない。予言者的本能、熱気、情熱は全ての者から学ぶことができるが、賢者からのみ不可能なのだ。われわれの存在は、飛躍による以外には、決定的で本質的な飛躍による以外には、意味を与えられることはできないのである。

     変容への強い意志はわれわれのもとには決して存在しなかったし、われわれの運命と条件に関する不満は、懐疑的態度のような形態を越えることはなかった。懐疑主義は、変容の過程の階梯における最初の段階であり、それはわれわれの運命についての意識をうながす最初の契機である。懐疑主義によってわれわれは、自分自身の外に出ることができる。それはわれわれの力を測定し、位置を定めるためである。われわれの皮相さは、この最初の形態を越えることができなかったということに、自らを自らの惰性の傍観者として定めたことに、アイロニカルに断末魔を楽しんだということに由来する。ルーマニア人は自らの与えられた状況を嘲笑し、容易で不毛な自己アイロニーの中で自らを消し去る。われわれの運命の状態において、ドラマティックなものの不在はつねに私を激昂させ、はなはだしい無関心、外面的なまなざしは私を苦しめた。もしわれわれルーマニア人全員が一斉に、自らの悲惨の強烈さに苦しむのなら、そして世界におけるわれわれの無意味さに、徹底的に絶望するのなら、絶頂でのみ起こる大きな精神的(道徳的)改宗によって、われわれが歴史の入口を通り抜けることもできるかもしれない。できないと誰が知っていると言うのか? ルーマニア人が今までポジティヴにも、創造者にもならなかった理由は、自己超越と自己否定のプロセスにおいて最初の段階しか登らなかった、ということにある。生が炎に、われわれの躍動(エラン)が無限の振動に、われわれの全ての廃墟が単なる思い出になるまでに、われわれの情熱が、発狂的なほどまでに激化される必要がある。われわれは全員、現実を厳粛に考えなければならないだろう。その現実とは、ルーマニアは予言者なき国であること、すなわち存在としての、生きた直接的現実としての未来を誰も生きなかった国、誰も使命の強迫観念に震えない国であるということだ。そしてまた、この厳粛な思考の中で、別様に存在することを誓わなければならないし、盲目の狂信の中で燃え上がらなければならないし、異なるヴィジョンの中で発奮し、異なるルーマニアという考えがわれわれの唯一の思考でなければならないだろう。われわれの歴史の系列の結果を継続することは、緩慢な自殺によって破滅するというのと何も変わらない。私は政治的形態の変化だけについて語っているのではなく、われわれの生の土台の変容についても語っているのだ。われわれの明晰性を放棄するべきである。その明晰性こそわれわれに不可能性を見せつけ、われわれを光から遠ざけるのだから。われわれは盲人のように光を征服しなければならない。

    *1 おそらくリルケの詩「厳粛な刻限」(Ernste Stunde)を念頭に置いていると思われる。
    プロフィール

    せみ

    Author:せみ
    ルーマニア哲学・思想を勉強しています。
    今年(2013年)もルーマニアに滞在する予定です。ご質問・ご要望等がございましたらお気軽に。

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